比嘉37年ぶり具志堅雪辱勝利&15連続KO記録の裏に壮絶な減量秘話と沖縄魂
一方、控え室で恋人とずっと手を握っていたフェンテスは不満をぶちまけた。 「おかしいだろう。俺は、まだまだやれた。納得がいかない。世界戦で1ラウンドで立ち上がっているボクサーの試合を止めるレフェリーがどこにいるんだ? もちろん再戦を要求する」 試合後、フェンテスは、早すぎたKO宣告に文句を言ったが、陣営に「おまえが8カウントで立ち上がっていないからだ。言い訳はするな」と、たしなめられていた。 「世界王者だからハードパンチャーだった」というフェンテスに、過去30戦のキャリアで比嘉のパンチ力はどれくらいに位置するのか?と聞くと「8番目くらいかな」と中途半端な順位を口にして強がった。 比嘉は、37年前に具志堅会長が14度目の防衛に失敗して以来、解けなかった“沖縄の呪縛”を解放した。 地元で負けられないというプレッシャーとKO宣言を口にしたことへの「負けたら何を言われるかわからない」との責任。前夜は午前1時に床についたが朝8時まで眠れなかった。ほとんど一睡もしていない。 「プレッシャーはあったけれどプレッシャーに勝つ責任があった。それだけの練習をしているし、自分にプレッシャーを与えると体が勝手に動いてくれる。言ったほうがよかった。“すごいぞ比嘉大吾”と思った」 具志堅会長はリング上で号泣した。 凱旋試合で勝てた愛弟子と勝てなかった自分……。その違いを問うと、「当時と今では環境が違う。でも大吾は持っている。誰にもないものがあるってことじゃないか。プロのボクシングというのは、パンチのある選手が世界で一番怖いんですよ」と称えた。 だが、沖縄のリングに上がるまでには知られざるもうひとつの戦いがあった。野木トレーナーは、試合2日前に大きな危機があったことを打ち明けた。
減量は極限に達しており、利尿作用のあるパイナップルを2、3切れ口に入れただけ。脱水症状に襲われ「足がしびれてきた」と比嘉が“SOS”を出した。毎日、比嘉が寝付くまでホテルの同じ部屋で付き添っていた野木トレーナーは紙コップに一杯だけ水を与えた。 もう「頑張れ」という声もかけられないほど比嘉は憔悴しきっていた。 一晩、寝れば300グラムは落ちるが、この時点でまだ1、2キロ残っていたという。 「今が試合の10、11ラウンドだぞ」 野木トレーナーは、そうハッパをかけた。 比嘉は耐えきった。想像を絶する強靭なメンタルである。 ほぼ2日間の絶食で計量をクリアしても、さらにそこからが問題だった。 前回の初防衛戦では、計量後に、どか飲み、どか食いをして、ステーキを食べている最中に、急速に胃腸に血流が集まったため倒れた。 「下痢になって水分が全部下から出た。試合前に控え室でアップしても汗も出ない。脱水状態に近かった」(比嘉)。そのトラウマがあるため、計量後、24時間を野木トレーナーが管理した。 「計量が終わったからといって試合が終わったわけじゃない。ここからが大事なんだ」 そう言い聞かせ、まず水はペットボトル1本(500mリットル)を30分かけて飲ませた。 具志堅会長が37年前に食べることができずに敗れたという因縁のアイスクリームを食べながら、実は、リバウンドに細心の注意を払った。ゼリー状の炭水化物のサプリを使い、まず胃をなじませてから、280グラムの沖縄牛ステーキを食べたのは、計量後、3時間が経過してからだった。 「よく我慢したと思う。3試合を行いメンタルが成長した」と野木トレーナーが言う。 リングに上がるときの体重増加も4キロに抑えた。綿密な食事管理がうまくいったのだ。試合前の控え室での動きを見た具志堅会長は、「動きが違う。勝てる」と確信したという。 ミットを持った野木トレーナーは「極端に言えば、初防衛戦の直前と比べると倍ほどパンチの威力が違っていた」。1ラウンドの衝撃KOは約束されていたものだったのである。 感激のリングで具志堅会長は興南高時代の恩師の遺影を掲げた。40人以上のアマ王者を育て、比嘉も、その薫陶を受けた沖縄アマチュアボクシング界の巨星、金城眞吉さんが、昨年11月に永眠された。その最期を具志堅会長も東京から駆けつけて見送った。 試合前に追悼の10カウントが鳴らされたが、金城さんの教えは「自分に勝て」というものだった。それが沖縄ボクシングのルーツである。比嘉がリングに上がる前に戦ったもうひとつの戦いに耐えた精神力は、金城さんが教え、そして求めた“沖縄魂”そのものだった。