【光る君へ】ネットで大バッシング! 宣孝の「ヤバい本性」 史実ではどんな夫だったのか?
NHK大河ドラマ『光る君へ』第26回では、まひろ(吉高由里子)の年上の夫・藤原宣孝(佐々木蔵之介)がまひろからもらった恋文を周囲に見せびらかすという無神経すぎる行為が発覚。さらに、不機嫌となったまひろに対し宣孝が「そういう可愛げのないところに、左大臣(=藤原道長)も嫌気がさしたのでは?」と嫌味を言い放ち、まひろは怒りのあまり、香炉の灰を投げつけた。デリカシーのない宣孝の言動にネットでも非難の声があがっているが、史実でもこうしたケンカはあったのだろうか? 宣孝がどのような人物であったのか、改めて振り返る。 ■史実でも起きた、恋文見せびらかし事件 宣孝が紫式部に結婚を申し入れたとき、彼にはすでに3人以上の妻がいて、多くの男子(5人とも)にも恵まれていた。本来ならこれ以上、妻を娶る必要はなかったはずである。 そんな彼が紫式部に目をつけたのは、彼女の文才に惹かれたからであると思われる。手っ取り早くいえば、「俺にはこんな才女の妻がいるんだぜ」といった見栄のためというべきか。 それがわかるのが、新婚の頃に起きた夫婦ゲンカのエピソードだ。紫式部が送った手紙を宣孝が周囲に見せびらかし、怒り狂った紫式部が「文を全部返せ」と求めた、というものである。悪態をついたことも想像に難くない。 その後、結婚の翌年に娘・賢子(大弐三位)が生まれてはいるが、宣孝が紫式部の元に通うことはほとんどなくなった。ヒステリックに詰め寄る紫式部に辟易したからなのかも。史実においても、夫婦仲は良くなかったとみるべきだろう。 ■清少納言も批判した宣孝の「ヤバさ」 ここであらためて、宣孝がどんな人物だったのか、その人物像に目を向けてみよう。 かの清少納言が著した『枕草子』には、宣孝の派手好きっぷりが記述されている。本来なら地味な服装で行くのが当たり前と思われていた熊野の御嶽詣(みたけもうで)に、超ド派手な色合いの衣服をまとって訪れたことで話題になったというのだ。 それでも本人は気にすることもなく、「かならずよも『あやしうて詣でよ』と御嶽さらにのたまはじ」(まさか『身なりを悪くして参詣せよ』とは、御嶽の権現さまもおっしゃるまい)と、平然と言いのけたのだとか。手紙を見せびらかす行為は、こうした目立ちたがりの性によるものかもしれない。 なお、このほかにもドラマでは、宣孝がみなし子に対し「けがらわしい」と発言しており、ドン引きした視聴者も多いだろう。しかしこの点については、しかたない部分もある。 清少納言も『枕草子』で「似げなきもの」(似合わないもの)の代表格として「下種の家に雪の降りたる」を挙げている。つまり、「卑しい身分の貧しげなる家に雪が降り積もるなど、風流でも何でもないから、似つかわしくない」ということである。平安貴族としては、これが普通の感覚だったのかもしれない。
藤井勝彦