高橋優インタビュー/主催フェス開催間近「一緒に楽しい時間にしようっていう意味がどんどん深くなっていっている」
毎日は、誰かの価値あるファインプレーで溢れている
――タイアップという条件に関しては、高橋さんのなかで創作の純粋性に矛盾はしないんですか? そこは結構自由に感じているのかもしれないですね。もちろん枠組みや細かい次元での制限はあったりするんですけど、それによってがんじがらめにされるとか、そういうことはないですね。もしかしたら、幸い、なのかもしれませんが。ちなみに、タイアップのお話をいただいて、曲を書いて聴いていただいて、意見をいただくのは僕としてはワクワクする部分もあるんですよね。これに対してどんな感想を抱いてくれるんだろう?って。そこはだから純粋だし、クリエーターとしての意地もありますよね。これしか作れません、ではなくて、こうきたらこうもできますよっていう具合に。 ――新曲「現下の喝采」の場合も、資料によりますと番組との打ち合わせがまずあって、そこから創作がスタートしたと。 そうですね。『Oha!4 NEWS LIVE』(日テレ系)のスタッフさんの中に高橋優を推している人たちがいるっていうのを聞いて、打ち合わせの8割はそれを伝えてもらうだけの感じでした(笑)。あくまで僕の体感的には。 ――それは気持ちがいいですね(笑)。そこから高橋さんのなかではどんなスイッチが入って創作モードに突入していったんでしょうか? 例えばですけど、誰しも仕事を始めたフレッシュな頃は、ひとつひとつに手応えを感じていたはずなんですよ。お、今日はこれができた!って。でも、だんだん自分のやってることに慣れてきちゃうと、自分がクリアしていったことが当たり前になっていってしまうんですよね。昔は大成功だと思ってたことが、今じゃ普通、みたいな。そうすると、もっともっとすごいことしなきゃ大成功とはとても呼べなくなってきて、しまいにそれがどうでもよくなってくるというか。いやいや、そうじゃなかったでしょと。大したことないって今思ってるこれって、実はすごいことだよって。なんかそういうことを考えながらツアーを回っていた感じと、『Oha!4』のスタッフさんが毎朝早くからスタジオに入って毎日ニュースを伝えている感じが、うまいことリンクして、楽曲のテーマが見えてきたんですよね。だって、そもそもの話をすれば、人間誰しも立ち上がっただけでお父さんとかお母さんから手を叩かれて喜ばれたんですから(笑)。字を書けただけでどれだけすごいって褒められたか。だんだんそれが当たり前になっていってしまう。それはそうなんですけど、でもそれを人間関係で捉えたら、例えば人から嫌なことを言われて、言い返してやろうかと思ったけど、そこをグッと堪えて何事もなかったように流した。それってファインプレーですよ。言い返したら喧嘩になってたかもしれない。でも、それを誰も褒めてはくれませんよね。当たり前だと流されるかまったく気づかれないか。日常ってそういうことに溢れてるんじゃないかなって思ったんです。みんなその時その時でものすごく価値のあることをやっているはずなのに。 ――そういう個人個人のファインプレーの集積の上に社会が成り立っている。 そう。だからあなたはいい日々を歩いているんだっていうことをもう一度思い出してほしいって思ったんですよね。店員さんの態度がすごく悪かったのに、ありがとうと言ってお店から出てきた――その瞬間スタジアムいっぱいのオーディエンスがあなたに向かって歓声と拍手を送るっていう妄想が広がったんです(笑)。うおーー!って。そういう喝采が、あなたの日々にはいくつも起こっている、なんてことない日常を歩んでいる人たちにこそ喝采は起こっているんだっていうイメージから始まりました。 ――それは救われるなー。 人生を歩めば歩むほどだんだん褒められなくなりますからね。 ――“喝采”のイメージはすごくよくわかりました。一方で、タイトルで気になるのは“現下”という言葉で、あまり音楽的ではないというか、音楽の文脈で出てくることは稀な言葉ですよね。 おっしゃる通りで、どちらかと言えばビジネスの世界で用いられる言葉ですよね。現下の状況から説明しますと――、みたいな感じで。 ――ああ、そうですね。 だから『Oha!4』を見ている人たちの職場で日常的に用いられているであろう言葉をあえてタイトルで使ってみようかなと思いました。なので意味として何か深いものがあるとか、そういうことではないんですけどね。 ――あと、個人的に気になったのは、テンポが8分の6拍子の曲なんですけど、そうするとイメージするのは「プライド」なんですよね。アンセムのような曲だと思っているんですけど、8分の6拍子というのは、高橋さんの中で何か特別なものとしてあるんでしょうか? なんでしょうね。「プライド」を意識したということはないんですけど、言葉を届けやすいテンポなのかもしれないですね。メロを作りながら、なんとなく言葉をイメージしていくなかで、きちんと言葉を届けたいっていう意識はあったんですよ。だから、しゃべるように言葉を届ける感覚というのを探っていったら自然とそのテンポに落ち着いた、ということかもしれませんね。やっぱり、これも「ぴんしょうツアー」の影響なんですけど、言葉がきちんと聴こえる、言葉が届く楽曲というのがテーマなんですよね。もっと言えば、言葉はしっかり聴こえるけど、「え、何?」っていう驚きを含んだものを書きたいんですよ。要するに、コミュニケーションをしたいというか。「こいつ何か言ってるぞ!?」みたいな(笑)。歌ってるっていうよりも、なんか言ってるっていう感じ。それを僕はずーっと――それこそ路上時代から――やっているんだと思います。路上をやっているときに怒られたことがあるんですよ。 ――それは? 「駱駝」っていう曲を歌った時に――それは常識とか世間体なんかクソだっていう歌なんですけど――おじさんから「それは違うだろ!」って(笑)。そのときに僕は、聴いてくれてるんだ!っていう喜びの方が大きかったんですよ。なんとなくだけど、そうやって僕の歌に聞き耳を立ててくれてる人がいるんだっていうつながりは、そのときに比べたら今の方がはるかに強くありますね。 ――高橋さんにとっての言葉は、メッセージに重きがあるんですか? それとも音に乗るものが優先されるんですか? そこはね、難しいですよね。一番面白いところでもあるんですけど。もちろんその両方を満たしているものが最高なんですけど、その時々のやりたいことによって、方向性は変わりますね。例えば、よりライブでお客さんと一緒に盛り上がることを想定したら、言葉の意味やそこに含まれるメッセージよりもリズムを意識した方がいいでしょうし。逆に振り切って言葉を尖らせて作ることもありますしね。そこのバランスは本当に面白いし、難しいですね。デビュー当時から、自分にそんなに言いたいことがあるかって言われたら、あまり変わってない気がするんですよ、そこは今も。もちろん世の中がどんどん変わってきているから、伝えたいことも変化するし、どんどん湧き出てくるんですけど、届け方としてどういう方法がいいのかというのは毎回手探りですね。