ユニクロの柳井氏も危機感、世界的な大企業もハマる「成功の復讐」というワナ
「CHANGE OR DIE」──2011年元旦、ユニクロ創業者の柳井正氏が全社員に放った言葉である。それは、柳井氏の“大企業病”への危機感から発せられたものだったという。日本企業だけでなく、GMやモトローラのような世界的な大企業もハマってしまう病「成功の復讐」とは何か。元ファーストリテイリングの執行役員で、『ユニクロの仕組み化』を上梓した宇佐美氏が解説する。 【詳細な図や写真】ユニクロの急速かつ持続的な成長を支える「仕組み」とは(Photo:sf_freelance / Shutterstock.com)
※本記事は『ユニクロの仕組み化』を再構成したものです。
ユニクロは「全員に」変革を求める会社
リーダーの仕事は「仕組み化」です。 新しい仕組みをつくったり、仕組みをアップデートしたりすることこそがリーダーの仕事で、それ以外は部下の教育を除けば、言葉は悪いですが雑務といっても言いすぎではありません。 幹部クラスでしたら「どうすれば組織全体を変える仕組みをつくれるか」について考える必要がありますし、小規模のチームでも「チームにどういう仕組みがあればチームを変えられるか」を考えなければいけません。 ユニクロではリーダーだけでなく働いている人ひとりひとりに「変革」を求めます。 それを最も象徴している柳井正さんの言葉があります。 「CHANGE OR DIE」 柳井さんは毎年元旦に、全社員宛てに一年間の方針をメールで流します。「CHANGE OR DIE」は、2011年の方針です。「元旦からとても過激な言葉だな……」と思われるかもしれませんが、この言葉は柳井さんなりの社員へのカンフル剤だったのでしょう。 当時の業績は、08年秋に世界を襲ったリーマンショックから回復傾向にはありましたが、芳しくありませんでした。業績は経営陣の責任ですが、柳井さんとしては「働いている人全員に責任がある」という事実を徹底的に認識してほしいという思いがあったそうです。 全員が失敗を認識し、自らの仕事を抜本的に変革し、新しい現実に対応していかなければ生き残れない。ひとりひとりが変わらないと世界と戦っていけない。そんな危機感から発せられた言葉なのです。 すでにこのころ、ユニクロは海外にも進出する大企業になっていました。地方発の中小企業として始まり、グローバル化とは縁遠いと思われていた小売りという業態でしたが、SPA(製造小売業)で大成功を収め、グローバルに事業を展開していました。 当時、店舗ごとの売り上げでも日本の店舗がすでに一番ではありませんでした。1位がパリ、2位がニューヨーク、3位が台湾、4位が銀座……と続いて、上位10位のうち、海外店舗が半分を占めていました。 それだけに、柳井さんの中にはユニクロが大企業病にかかってしまう懸念もあったでしょう。 「CHANGE OR DIE」はそうした文脈から発せられたともいえます。