中国北方の凍りつく冬と傷つきやすい若者を魅惑的に描いた映画『国境ナイトクルージング』
脱北者が比較的自由に川を渡ってこられた時代
目の前を流れる豆満江(これは朝鮮名で図們江は中国名)の向こうには北朝鮮の山並みが見える。当時は、現在とは違い、脱北者が比較的自由に川を渡ってこられた時代である。 主人公の少年チャンホには、北朝鮮からときおり川を渡って訪ねてくるミョンジンという友達がいる。ミョンジンはサッカーが上手なので、チャンホは隣村との試合に出てくれと頼む。韓国に出稼ぎに行った母を除く、祖父と姉の3人暮らしの自宅に彼を招きいれ、食事を与える。村には脱北者を温かくもてなす大人たちも少なくない。 ところが、ひとりの脱北者が羊を盗んだことで、村の雰囲気が一変。そして、試合の前日、ミョンジンは警察に捕まってしまう。密告したのは、同じサッカー仲間の少年だった。彼の父親が脱北者の逃亡を手助けしたことで逮捕されたため、逆恨みしたのだ。 この作品がユニークなのは、主人公の少年も含め、登場人物の大半は実際の村人たちが演じていることだ。それだけに、古びたオンドル部屋や唐辛子で真っ赤に染まった食事と高粱酒、農作業のシーンなどから朝鮮族の生活実感が伝わってくる。さらには、同じ民族でありながら、国境の川を隔てて暮らす彼らの置かれた特殊な環境が理解できる作品だ。 そして、延辺はロシア国境と接する地域でもある。先に述べた図們江下流域には、中国、北朝鮮、ロシアの3カ国の国境が交わる場所がある。そのため、極東に住む多くのロシア人が延辺に観光や買い物に訪れている。 『国境ナイトクルージング』のハオフォンが延吉の書店で見つけた画集から「天池が見たい」と言ったことで、3人が車で出かけたものの、最終的には訪れることができなかった天池とはどのような場所なのだろうか。筆者は何度か訪ねたことがあるので、文中の写真をご覧いただきたい。 長白山(朝鮮名「白頭山」)は吉林省東南部に位置する標高2744メートルの名峰だ。清朝を興した満洲族や朝鮮民族の聖地とされるこの霊山にあるカルデラ湖が「天池」である。原生林に覆われた山麓は、野趣あふれる温泉や高山植物の宝庫として知られ、夏は多くの登山客が訪れる。 最後にひとこと。今回の作品に登場する長白山と熊の伝説について、公平を期して伝えておかなければならないことがある。実はこれは朝鮮民族のルーツにかかわる伝説なのだが、天池は中国に住む満州族の発祥の地ともされているからだ。 それについては、筆者の友人で満州族の血を引く金大偉さんのドキュメンタリー映画「天空のサマン」(2023年)に関するコラム「『もう時間がない』消滅寸前の満洲シャーマンのいまを追ったロードムービー」でも書いているとおりだ。 『国境ナイトクルージング』という作品の舞台は、このようにさまざまな多民族が行き交うボーダーワールドだったのである。 監督・脚本:アンソニー・チェン 原題:「燃冬」英語題:「The Breaking Ice」 2023 年製作国 中国・シンガポール 上映時間100分
中村 正人