保育所でも職場でも子どもにも「迷惑をかけている気持ちだった」MISIAの母・小児科医の伊藤瑞子「アメリカ帰りの上司が変えた職場環境」
MISIAさんの母で小児科医の伊藤瑞子さんが3人の子育てをしながら働くうえで、上司の存在に助けられたそうです。「当時の日本では先進的な方法」だという働き方とは──。(全4回中の2回) 【写真】「お姉ちゃんにそっくり!」赤ちゃんの頃のMISIAさんを囲む長男と長女など きょうだい愛が伝わる伊藤瑞子さんの子育てアルバム(全8枚)
■3人目に生まれたMISIAさん「24時間保育所に助けられて」 ── 年子で2人のお子さんを出産され、その7年後にMISIAさんが生まれました。 伊藤さん:長崎県長崎市の長崎大学に勤務していたころ、上2人の子どもを保育所に預けて職場まで通うのに1時間ほどかかっていました。帰りもなるべく早く迎えに行こうと思うのですが、渋滞に巻き込まれると車の中で走りたいような気持ちでした。このころは、子育ては2人で手一杯だと感じていました。
その後、夫が勤務する長崎県大村市にある国立病院で臨床研修医として勤務したのですが、緊急性の高い新生児や小児疾患を受け入れる体制が手厚い病院だったこともあり、大変ではありますが、やりがいのある小児科を専攻することを決めました。この病院には労働組合が設立した24時間預けられる院内保育所がその当時にあったんです。48年前にですよ。 夜中に突然呼び出しがあっても、いつでも子どもを預けることができました。子どもを小児科の仕事で見ているとやっぱり可愛いし、この環境のなかで、もうひとり育ててみたいなと思って生まれたのが、次女で3人目のMISIAなんです。
── MISIAさんをその保育所に預けて働かれたんですね。 伊藤さん:次女は生後43日から院内保育所に通っていましたが、昼休みには子どもに会えますし、子育てをハンデと感じずに安定した気持ちで仕事と両立することができました。この保育所がなかったら、年子の2人の子育てでいっぱいいっぱいで、とても3人目は考えられなかったと思います。 ── 24時間いつでも預けていいというのは心強いですね。 伊藤さん:当時、私たち家族は病院の宿舎で生活していたのですが、保育所と職場の病院と宿舎が半径50メートル以内にあってロスタイムはほとんどありません。この保育所がとても融通が利いて、本当にありがたい存在でした。
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