[特集/改革者クロップの軌跡 01]CL&プレミア制覇で一時代を築いた クロップとリヴァプール、蜜月の9年間
ケガ人続出の6年目を経て7年目に国内2冠を達成
20-21はケガ人が多発した。とくに痛かったのは、センターバックが総崩れとなったことだ。ファン・ダイクが5節エヴァートン戦でヒザの十字じん帯を断裂し、マティプ、ジョー・ゴメスも負傷で戦線離脱があり、主力センターバック3名を欠いて戦わなければならなかった。 ファビーニョやときにヘンダーソンを最終ラインに下げて起用したが、相手を駆逐するヘヴィ・メタル・フットボールの強度を維持できず。22節から25節にかけて4連敗を喫するなど、パフォーマンスが低下した。 コロナ禍でもあり、シーズン中に感染する選手もいた。各チーム同じ条件ではあったが、ケガ人が多いところにコロナウイルスである。CLは準々決勝敗退、FA杯、リーグ杯はともに4回戦で敗れた。それでも、この年に加入したディオゴ・ジョタの台頭などでプレミアでは終盤戦に10試合負けなしで順位を上げ、3位に食い込んでCL出場権は確保した。 頂点に立った翌年に沈んだリヴァプールだったが、クロップ体制7年目の21-22にふたたび浮上した。一度たしかに築いた土台は崩れておらず、ファン・ダイク、マティプなどケガ人が戻り、ジョタ、さらには新たに補強されたルイス・ディアスなどが躍動して強度を取り戻した。圧巻だったのは9節マンU戦で、敵地でゴールラッシュをみせて5-0で大勝した。当時の両雄のチーム状態を如実に表わす結果である。 シーズンを通じてロバートソン、アレクサンダー・アーノルドの両サイドバックがふたたび二桁アシストを成し遂げ、サラー23得点、マネ16得点。これに続いたのが加入2年目のジョタで、顔ぶれは変わったがフロントスリーの破壊力は変わらなかった。 プレミアではまたもマンCと優勝争いを演じ、勝点1差で2位となった。敗れたのはわずかに2試合で、28勝8分2敗で勝点92である。マンCとの直接対決は2分けで、他チームとの対戦で取りこぼしがなければ……というシーズンだった。 なにしろ、FA杯、リーグ杯の決勝ではともにチェルシーをPK戦のすえに下し、2冠を達成。CLでも決勝に進出している(Rマドリードに敗れて準優勝)。21-22はあと少しで4冠の可能性があったハイパフォーマンスを維持した1年となった。