「電気椅子で死にたい。そうすれば遺族は安らげる」そう語る死刑囚の真意 死刑は残すべきか廃止すべきか、アメリカから考える②執行直前の14人と話した元矯正局幹部
▽「私が決めたことではなく、市民が決めたこと」 オズミントさんには、もう一つ重要な仕事があった。死刑執行される直前に「死刑囚の最後の言葉を確認すること」だった。 「出てくるのは自責の念と後悔の言葉だった。彼らは真に更生し、明日、街に戻しても安全だろうと思える人たちだった。そんな人が、刑務所には何百人もいる。それでも私たちが彼らを閉じ込めておくのは、被害者のためと、それが罰であるからだ」 オズミントさん自身は、人の命を奪うという非常に負担のかかる仕事と、どのような気持ちで向き合っていたのだろう。尋ねると「私たちは、社会のために仕事をしているだけで、意思決定者ではない」と語った。 「すべての人たちが死刑制度に関わっている。誰かを死刑にすべきというのは、私が決めたのではなく、サウスカロライナ州の市民が決めたこと。それは、約8割が支持するという日本の死刑制度でも同様だろう」 死刑執行に関わることへの心境についてさらに質問を繰り返すと、オズミントさんはこう述べた。
「なぜ、執行に携わる人が罪悪感を持たなければいけないのか?死刑の執行を行うかどうかについて、私たちに裁量はない。私がやらなくても、誰かがやっていたこと。この区別をつけないといけない。私はプロとして、仕事を行った。死刑の執行が市民全体の決定であると思えば、重い役割ではない。それを職員も理解しているのだろう。彼らから文句や愚痴は聞いたことがない。どれだけ大変だったかを語ることもない」 ただ、そんなオズミントさんも、次第に考え方は変わってきた。「かつては死刑制度に強く賛成していた。今は以前に比べると、どちらとも言えない立場だ。制度に対する賛否があることを理解しているし、反対する人の言い分も理解できる。人が変われるということも知っている」 それでも、死刑制度が不要だとまでは思っていない。「あまりにも恐ろしい犯罪が起こるから、死刑は今でも私たちの社会に存在する。すべての死刑囚が反省し、悔い改めるわけではない。さまざまな政策上の理由から、究極の刑罰に直面する必要があることは明らかだ」