男子100mで桐生祥秀の「9秒98」が生まれた理由とは?
レースを見つめた伊東強化委員長は、「今回は技術というよりも、桐生君の意地だったと思います」と話す。1学年下の多田は絶対に負けられない相手だったからだ。日本選手権は今季急成長した多田に負けての4位。ロンドン世界選手権の個人代表を逃した。 日本インカレのプログラムには大会2連覇中だった桐生の写真はなく、中央に大きく掲載されていたのが多田だった。もし今回、多田が出場していなければ、桐生もここまで“本気モード”になることはなかったはずだ。おそらく、10秒10前後で無難にレースを終えていたと思う。 今回9秒台が出た一番の要因を尋ねられた桐生は、「東洋大で4年間やってきて、自己ベストを出せずに、大学生活を終わるのは嫌だなという気持ちがあったんです。高3で10秒01を出してから、口にはしなくても『9秒台は俺が最初に出すぞ!』と思っていました」と答えた。日本インカレは今季の最終戦で、4年間の思いをレースにぶつけて、待望の記録をゲットした。 振り返ると、東洋大での4年間は重圧との戦いだった。17歳のときから、走る度に「9秒台の可能性」を多くのメディアから問われて、見ているコチラが心苦しくなることもあったほどで、桐生が最初に9秒台を出してくれて良かった、と思っている陸上関係者は少なくない。 教え子の激走を見て、感動の涙を流した土江コーチは、「TUのユニフォームを着ている間に30cmほどですけど、前に進み、10秒の壁を突破できたことは本当にうれしいです」と笑顔を見せた。わずか30cm差を縮めるために、1594日もの月日を要したことになるが、0.03秒の進化は桐生にとっても、日本陸上界にとっても大きな“一歩”になるだろう。 4年前の織田記念でマークした10秒01は大会前の自己ベストを0.17秒も短縮して出したものだった。今回は10秒0台を10回も刻み、追い風参考記録ながら9秒87(+3.3)をマーク。さらに男子4×100mリレーで3走を務めたリオ五輪とロンドン世界選手権では、アジア出身選手として初めて9秒台に突入した蘇炳添(中国)を圧倒する走りも見せている。条件に恵まれたレースで、リレーで見せたような爆発力を発揮できれば、9秒台はいつでも出せるという水準に到達していた。同じ「出てしまった記録」といえども、それは4年前と大きく異なる部分だ。