スペイン3大クラブを指揮した唯一の監督よ、安らかに――【ワールドサッカーダイジェストのザ・ジャーナリスティック】
アトレティコを2冠に導き最強バルサの礎を築いた
4月6日に他界したアンティッチ。ビッグ3以外にサラゴサやセルタなどでも指揮を執り、2010年W杯では母国セルビア代表を率いた。(C) Getty Images
ラ・リーガに最高のドラマを作った人物、ラドミール・アンティッチが4月6日、長く患っていた膵炎により、71歳の若さで他界した。 私のアンティッチに対する最初の印象は、監督よりも選手時代だ。サラゴサで2シーズン、DFとしてプレーした彼は、チームを動かすリベロで、後方からボールをつなぐ姿は実に優雅だった。ピッチ全体を俯瞰し、プレーを構築。私自身が現役時代にリベロをやっていたこともあり、そのセンスは際立って見えた。 そのフットボール感覚を、ユーゴスラビア出身のアンティッチは監督としても生かしていた。戦術家として知られるが、いわゆる戦術ありきで選手を当てはめていくタイプではない。むしろその逆で、選手の特性をしっかりと見抜き、他の選手との組み合わせを考え、ひとつのチームにする。いわゆる選手が戦術を動かすという考え方だ。 1991―1992シーズン、レアル・マドリーを率いて2
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