東日本大震災から7年 復興のまちづくりに大切なものは何か
◎岩沼市玉浦西地区 岩沼市は、市全体の半分が浸水し、沿岸部の玉浦地区内の6地区が壊滅的な被害を受けた。 市は震災後ただちに、6地区の町内会長や区長、町内会役員らで構成する「6地区代表者会議」を立ち上げ、震災1か月後の2011年4月18日に初会合を開いた。この会議では、移転先として、住民要望をベースにした玉浦西地区など2地区が決まり、6地区の住民が集約的に移転する格好となった。 移転後の街づくりを意識した取り組みも特徴的だ。市では、玉浦西地区への移転希望住民だけではなく、同地区周辺に住んでいる住民、そして同地区以外に移転を希望する住民を対象にアンケートを行い、コミュニティのあり方などについての意見を計画に反映した。 移転が決まった後には、移転希望住民や近隣住民、学識経験者らによる「まちづくり検討委員会」を立ち上げ、持続可能な街づくりを模索した。
「早ければいい」とは限らない?
こうした事例をみてみると、いくつかの共通点に気づく。国友氏は「住民組織が強く、自治会長らがリーダーシップを取れる場合は、合意形成が早いのは言うまでもない。復興計画の策定においては、行政側が住民に案を押し付けるパターンもあれば、住民案に沿ってつくるパターンもある。そして、後者のほうが当然スムーズにいく。押し付けすぎるとかえって住民側が反発して意見がまとまらないパターンもよくある」と語る。 ただこういった合意形成で難しいのは、行政が強引に推し進めるのも良くないが、住民に寄り添い過ぎても決まらないことがある。「行政としての方向性を示しつつ、住民組織をうまくリードできることが重要」で、住民側の熱意や積極性だけではなく、行政組織側の手腕も必要とされる。これがうまく行った例として、国友氏は上述の田老地区でのプロセスを紹介した。 同地区では、高台移転先の候補として3か所が選定され、それぞれが移転する方針になっていた。しかし宮古市は、今後の人口減少社会への推移を見据えて市街地の分散化を懸念し、コンパクトな街づくりの必要性を住民に説明して、移転先を1か所に集約することで理解を得ることができた。国友氏は「“行政の本音”をぶつけることで、住民の意向に沿いつつも、集約・効率化の可能性を探る街づくりが実現した」と評価する。 復興ではどうしてもスピーディーさが求められる側面があり、国友氏も人口流出への危惧から、「こと住宅再建については、遅いことは悪いことだと思っていた」と明かす。しかし、気仙沼市での事例を見て一概にはそうとも言えない側面があることに気がついた。 同市の災害公営住宅などでは、漁業のまちらしく、サンマやカツオがさばける調理台が設置されており、「こうした細かな意見に配慮してできあがったものへの満足度は高い。遅くなったことには理由があって、実際に住む人の需要を考えてつくり上げている」と、速さだけではない、きめ細かさを感じたという。