東日本大震災から7年 復興のまちづくりに大切なものは何か
成功例としての3自治体
こうした中で、スピーディーな合意形成につなげた地区がある。国友氏は、岩手県宮古市田老地区、釜石市花露辺(けろべ)地区、宮城県岩沼市玉浦西地区という3つの地区の事例を紹介した。
◎宮古市田老地区 「万里の長城」とも称される長大な防潮堤(総延長約2.5キロ)で知られた岩手県宮古市田老地区。明治三陸地震(1896年)、昭和三陸地震(1933年)での津波被害を契機に築かれた防潮堤だったが、3.11の津波はその一部を破壊し、また越えて市街地を襲い、壊滅的な被害を与えた。 この宮古市、そして田老地区で目につくのは「住民の意向に寄り添ったまちづくり」だ。例えば宮古市では、予想される浸水が2メートル未満の区域では、嵩上げや住宅の構造的工夫を行えば現地での再建も可能とし、住民の選択に柔軟性を持たせた。 合意形成のプロセスとしては、被災戸数が100戸以上の地区では、住民がワークショップ形式で街づくり計画を検討する「復興まちづくり検討会」を設置し、市長に提言する形を取った。被災戸数が40戸未満の小規模な地区については、全ての住民を対象とする会議形式の「意見交換会」の開催や、個別に意向確認を行うことによって意向を計画に反映させた。 100戸を超える田老地区では、「まちづくり検討会」で合意形成を探ったが、会に参加していない住民の声をすくい上げるために、計画素案に対する意見を募集する場を設けたり、会での議論の内容をまとめて全戸配布したりなどした。
◎釜石市花露辺地区 花露辺地区は、70世帯ほどの漁業集落だったが、津波で25世帯が流失し、港や漁業施設が深刻な被害を受けた。 ここで特筆されるのは、強いリーダーシップを持つ町内会長や町内会役員らの存在だ。彼らの下、震災から1か月後には避難所を解消、その間の被災者支援の中で交わされた今後の復興案についての話し合いや、独自の意向調査を踏まえて、3か月後には流失した世帯の地区内移転の場所の提案を中心にした復興方針を取りまとめ、市に要望した。 スムーズな合意形成に向けた試みもあった。釜石市では、被災した21地区ごとに「復興まちづくり協議会」を設置したが、その際、被災住民だけでなく、地権者・借地権者らも参加対象とした。さらに「地権者連絡会」を設け、まちづくり協議会での議論の前に、地権者との話し合いの場を持った。 花露辺地区の協議会では、住民の意見書をもとに行政側との意見交換が行われ、集会所機能を備えた災害公営住宅や、自力再建者のための宅地を漁村センターが立つ場所に整備すること、防潮堤はつくらずに高台移転することなどが計画に盛り込まれることになった。 そうした工夫もあり、花露辺地区では2011年12月に住民合意が実現し、2014年2月までに全ての事業が完了するという「類を見ないスピード」(国友氏)で復興が進んだ。