「MV=PT」を知らない社会人はガチでヤバい
「異次元の金融緩和が終了します」――最近、ニュースで毎日聞くフレーズだ。とはいえ、「正直よく分からないんだよな…」という人もいるかもしれない。2024年は日本経済の大きな転換点になる。経済ニュースや数値の意味、重要性が理解できていないのは、ビジネスパーソンとしてちょっとマズい。今回は、バブル崩壊以降の金融政策の流れを学んでみよう。(コラムニスト 坪井賢一) 【この記事の画像を見る】 ● 黒田日銀の政策名は 落語の「じゅげむ、じゅげむ…」? 突然だが、次の経済学の方程式を知っているだろうか? MV=PT なんのことやらサッパリわけ分からん、という人も多いだろう。 第1ヒントは、「安倍晋三元首相によるアベノミクスのもと、黒田東彦・日銀前総裁はMを増加させるための方策を繰り出していった」だ。 第2ヒントは、次の表を見てほしい。1999年以降の金融政策を時系列でまとめたものだ。 黒田前総裁による「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」や「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」といったやたらと長い政策名を見るたびに、筆者は落語の「寿限無、寿限無、五劫のすりきれ……」を思い出す。子供が生まれて、長生きするように縁起の良い名前を教えてもらい、全部つなげて一つの名前にしたという話である。 黒田日銀はいろいろと難しそうな概念を組み合わせていって、政策名称が寿限無のように長くなったが、目的はただ一つ、Mを増やすことだった。 次のページでは、方程式の種明かし解説をする。異次元緩和の始まりと終わりの経緯を知って、経済学の基本を楽しく学んでいこう。
● 日銀の異次元緩和策は なぜ始まって、なぜ終わるのか 異次元緩和は2013年4月、安倍元首相によるアベノミクスのもと、黒田日銀前総裁が就任と同時に打ち出した金融政策で、目的は長期デフレからの脱却だった。正式には「量的・質的金融緩和」という。 当時の記者会見で黒田総裁は、「2年で物価上昇率2%を目指す。そのために供給するお金の量(マネタリーベース)を2倍に拡大する」と発表した。これが異次元の「量的緩和」だ。その方法として長期国債や上場投資信託(ETF)なども買い入れると公表した。これを「質的緩和」という。 それまでにはない異次元の規模という意味で異次元緩和だった。が、実はそれ以前から金融緩和策は続いていた。初めて「ゼロ金利」という急進的な政策が導入されたのは、1997年~98年の金融危機を経た99年2月である。実際は無担保コール翌日物金利を0.15%に引き下げたのだが、仲介会社の手数料を除くと事実上ゼロとなるので、「ゼロ金利政策」と呼ばれた。筆者は当時の速水優・日銀総裁に単独インタビューしたことがあるが、量的緩和については「意味がない」と強く退けていた。 しかし、経済情勢はアップダウンしながらデフレの傾向はさらに強くなっていった。日銀は緩和を強化したり金利を少し上げて引き締め方向に戻したりと苦心していたが、速水日銀は結局、強く拒絶していた量的緩和政策を導入することにした(2001年3月)。散々、拒絶と否定を繰り返していた日銀は、あっという間に量的緩和論者に変貌し、世の中を驚かせたのである。