「MV=PT」を知らない社会人はガチでヤバい
● フィッシャーの貨幣交換方程式と 黒田日銀の「M」爆増作戦の顛末 金利の引き下げがゼロ近傍までいったので、次に可能な方法はマネーの量を増やすことしかなくなったわけだが、理論的な根拠としては、どう考えてもクラシカルな「貨幣数量説」に立脚していたのだと思う。 貨幣数量説とは、貨幣の量が増えれば物価が上がるという見立てを理論化した考え方だ。大航海時代(16世紀)に新大陸(中南米)からスペインへ大量の銀が流れ込み、結果として銀貨の価値が暴落して物価が長期間にわたって激しく上昇した。これを「価格革命」という。高校の世界史で学ぶ経済事件である。 英国の古典派経済学者のデイヴィッド・リカード(1772~1823)が貨幣数量説を取り上げたことがあるが、その後は新古典派経済学者もマルクス経済学者も関心を示さなかった。 そんな貨幣数量説が復活したのは20世紀に入ってからだ。米国のアーヴィング・フィッシャー(1867~1947、エール大学教授)が貨幣交換方程式(貨幣数量方程式)を1911年に発表し、貨幣数量説を復活させたのである。 貨幣数量説はフィッシャーによる次の貨幣交換方程式で表されている。 貨幣量M×貨幣の流通速度V=価格P×取引量T すなわち、MV=PT 500円玉1個(M)が一定期間に2回流通する(V)ということは、500円の商品(P)が2回取り引き(T)された金額と等しく1000円である。この式はこのようなことを示している。流通速度とは、ある期間にその500円玉が何回回転したかという数だ。 フィッシャーは、VとTはあまり変化しないとした。つまりVとTが一定だとすると、貨幣量Mが増えれば価格Pは比例して上昇する。取引量Tを計測することは困難だが、一定だとすれば計算の必要はないわけだ。 また、計測困難なTをY(実質国民所得)に置き換えて計算可能にしたアルフレッド・マーシャル(1842~1924)らケンブリッジ学派の考え方もある。他方、現在もっとも有名な経済学教科書のライター、ハーバード大学教授グレゴリー・マンキュー(1958~)は、TをY(生産量)として説明している(『マンキュー入門経済学第2版』東洋経済新報社、2014)。 いずれにせよ、Vは安定的でYが貨幣量に影響されにくいとすれば、Мを増やせば増やすほどPは上昇する。つまり、デフレを脱却するためには、目標(2013年の日本では物価上昇率2%)をターゲットとして、目標に達するまでMを増やせばいいことになる。 そうして、黒田日銀はMを増加させるための方策を繰り出していった。黒田総裁による「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」や「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」といった政策名は、いろいろ難しそうな概念を組み合わせて名称が長くなったのは前述した通り。目的はただ一つ、M(貨幣量)を増やすという貨幣数量説である。 黒田日銀の異次元緩和により、貨幣量の急増によって円安になり、企業の収益が拡大して株価は上昇したが、物価は目標までは上昇しなかった。貨幣数量説にのっとれば、Vが安定的ではなく、減少したとも考えられる。アベノミクスではこのことを見通して「イノベーション」を3本目の矢としていたが、イノベーションは政府が叫べば起きるものでもなく、景気は低迷し続けた。