【コラム】まただました日本…韓国大統領室は痛みを感じないのか
一度だまされる場合はだました人が悪い。しかし同じ人に、しかも似た状況で2回、3目だまされる場合はどうか。それはだまされる側の問題でもある。 ユネスコ世界文化遺産に登録された佐渡金山の追悼式(11月24日)を眺める心境がそうだった。日帝強占期に約2000人の韓国人が強制的に連行され、奴隷と変わらない過酷な環境で労役した場所である佐渡金山が、7月に世界文化遺産に登録された時、韓国は条件付きで賛成した。 日本が韓国人強制労役被害者に言及する展示室をすでに設置し、今年から佐渡で毎年追悼式を行うことを約束したというのが韓国政府の説明だった。現金はすでに用意されていて、すぐに受け取る手形もあるという趣旨だった。 しかし展示室のどこにも強制性の表現はなかった。現金と言っていたが偽札を受けた気分だった。 7、8月に開くと言っていた追悼式は日にちを決めるのも容易でなかった。日本総選挙など内部事情があったというが、手形を処理するべき人が勝手に支払い期日を今日、明日と延ばす格好だった。 日本は追悼式を協議する過程でこれを「感謝祭」に変えようとし、行事の2日前に日本政府の代表を確定した。後に誤報と確認されたが、当時まで靖国神社を参拝したと報道されていた生稲晃子外務政務官を派遣するということに世論は反発した。それだけでも足りないのか、日本は追悼の辞でも韓国人被害者に対する謝罪や強制性の認定は除いた。 連続で何度やられているのか、主務部処の外交部は痛みが残っていないようだ。最後の瞬間に追悼式不参加を決めたのがまだ幸いだった。 こうした一連の過程の中でも大統領室は全く見えない。公式立場がないのはもちろん、追悼式が開かれた当日の放送に出演した申源湜(シン・ウォンシク)国家安保室長は佐渡金山の「佐」の字にも触れなかった。 しかし常識的に考えてみよう。生稲政務官の靖国神社参拝が誤報だったという事実が明らかになる前の先月22日、外交部は「日本が高官級の出席を強調してきた我々の立場を受け入れ、次官級が出席することになった」と明らかにした。大きな外交的成果であるかのように思わせる余地が大きかった。 そして翌日、追悼式不参加に立場を変えた。外交部が自ら強調したようにそれ自体が最も強い抗議の表現なら、こうした形の意思決定が大統領室を通さずに可能だったのだろうか。そうだとすれば私がこれまで理解していたのとは違い、外交部は本当に勇敢な組織だったようだ。 昨年3月、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が強制徴用問題解決のための第三者弁済案を用意した当時、久しぶりに指導者の「勇断」を見たという印象だった。しかし日本が呼応せず、これは色あせた。 韓米同盟強化と韓日関係改善を通して韓米日安保協力を新しい段階に引き上げるという構想は正しかったし、今後、大きな外交的資産になるだろう。しかしその当為性だけを追って国内に目を向けなかったのは尹大統領の過ちだ。本人が勇断したからといって国民までが過去の問題に大乗的な態度で向き合うべきと考えているのではないかと感じるほどだ。 大統領室が佐渡金山問題に距離を置くのも、今回の事案が苦労して改善した韓日関係全般に悪材料として作用しないよう慎重に扱う努力の一環ということを知らないわけではない。しかし今の状況ではこれも国民感情を無視するように映りかねない。 何よりもこうした状況が繰り返され、野党の「反日」の動力になることが最も懸念される。来年の韓日国交正常化60周年はもちろん、米国のトランプ政権2期目を控えて韓日間の協力がいつよりも重要であるからだ。 石破茂首相が1月の訪韓を推進するという日本の報道に対し、政府は「まだ何も決まっていない」と明らかにしたが、水面下で動きがあるという。国交正常化60周年の年の開始と同時に石破首相が最初の外交訪問国として韓国に来れば、尹大統領は最善を尽くして迎えるはずであり、当然そうしなければいけない。 ただ、石破首相と笑って乾杯する前に尹大統領が佐渡金山被害者の遺族と先に会うのはどうだろうか。今回、日本の謝罪を期待して佐渡まで行き、不十分な追悼式にまた傷ついた中でも「政府に問題はない」という方々だ。 国に力がなく犠牲になった人たちの家族だ。国がこれを忘れず、今からでも誠意を尽くしていくと知らせることが、尹大統領が強調してきた「さらに強い大韓民国」の姿ではないだろうか。 ユ・ジヘ/外交安保部長