分子構造式のような設計に身震い! 勝家の本陣・玄蕃尾城 賤ヶ岳の戦いの城 ①
侵入者が進みやすいのも罠のうち
登城口から主郭へ向かうときにまず通り抜ける南端の曲輪(郭1)も、なかなか手ごわい。何の気なしに一本道を進めるはずだが、裏を返せば、通路を規制し侵入者を迎撃しやすい場所に誘導できているということだ。迷わず歩けるのも罠(わな)のうち、である。案の定、曲輪内に入ると両側の高い土塁に挟まれて、頭上から一斉射撃を受けることになる。 よく見ると、南東隅の尾根先にも階段状に曲輪を置いている。やはり、北国街道に向けて防備を固めているのがわかる。ここまでする抜かりなさが、玄蕃尾城の憎いところなのだ。 主郭北側の馬出郭も、橋頭堡(きょうとうほ)のような緊張感のあるスペースだ。北西の曲輪(郭2)をなめまわすかのように北西方面をにらむ。郭2は城内最大規模で、土塁と横堀で囲まれているのが印象的だ。おそらく兵站(へいたん)基地で、食糧や武器が保管されたのだろう。 気になるのは、郭2西側の虎口だけが枡(ます)形虎口ではなく平虎口であることだ。主郭周辺をこれほど厳重に固めているわりには、フェイドアウトしていくような中途半端さを感じる。もしかすると、拡張工事の途中で戦いが終わってしまったのかもしれない。 主郭の北東隅には10メートル四方ほどの櫓台があり、礎石も見つかっている。大きさから推定すると2~3階建ての巨大な櫓が想定されるという。天守のような建物だった可能性もありそうだ。
峠を遮断し陣城と連動
前述のように、玄蕃尾城の東麓には北国街道が走り、椿坂(つばきざか)峠を越えて北上すると栃ノ木峠で越前に至る。また、駐車場から登城道を登り切った尾根のピークは久々坂(くぐさか)峠(刀根越え)にあたり、長浜市の柳ヶ瀬地区と敦賀市の刀根地区を結ぶ。玄蕃尾城は勝家領と長浜城(滋賀県長浜市)との中間にある兵站地で、かつ二つの峠道の遮断を担っていたのだろう。 久々坂峠には「行市山砦(ぎょういちやまとりで) 3.5キロ」の案内板があり、玄蕃尾城と行市山砦の分岐点になっている。行市山砦とは、勝家が賤ヶ岳の戦いの際に佐久間盛政に築かせた陣城のことだ。賤ヶ岳の戦いは、合戦史上まれにみる陣城の構築合戦でもあり、勝家と秀吉の両軍が合計で20以上の陣城を築いた。 次回は勝家と秀吉が築かせた陣城、陣城から見る双方の戦略、陣城めぐりの醍醐(だいご)味を紹介しよう。 (文・写真 萩原さちこ/ 朝日新聞デジタル「&Travel」)
朝日新聞社