夢見た聖地で審判 感謝を込めて正確に 輪島の山上剛史さん /石川
<センバツ2019> 第91回選抜高校野球大会(23日開幕、毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)に石川から出場するのは星稜だけではない。県野球協会審判部の山上剛史さん(46)=輪島市。金沢高時代にあと一歩でベンチ入りを逃した甲子園に、審判として派遣されることになった。国際試合も担当するベテランは「周囲への感謝の気持ちを胸に、正確なジャッジをしたい」と気を引き締める。【岩壁峻】 【熱闘センバツ全31試合の写真特集】 センバツの土を踏む高揚感には、苦い記憶も混じる。新3年生として迎えた1990年春。金沢高の内野手だった山上さんは前年秋の北信越大会までベンチ入りしていたが、センバツに出場する15人(当時)から直前で外れた。「(言い渡されたのは)2月だったと思う。そこからは対戦校のデータ集めなど、サポート側に回りましたね」。強豪ゆえに部員数が多く、その分、悔しい思いをする選手もたくさんいる。「ただ、そういう人間が多いほど、チームの結束力は強くなるんです」 ◇選手から裏方に 以降は選手の立場を離れる機会が多くなり、その夏の石川大会は記録員に。「3年間で一通りの役割を経験できたのは今の肥やしになっている」という。星稜にも今回のセンバツでベンチ入りを逃した選手が30人以上いる。自らの経験を踏まえ、「絶対に悔しいと思う。ただ、その思いをサポートに向けてほしい。時には叱咤(しった)しながら、厳しく見守ってもらいたい」と語る。 高校卒業後は家業を継ぐために岡山県内のガス会社で4年間経験を積み、95年、22歳で輪島に戻った。審判になるきっかけは30歳ごろ。中学の先輩が監督を務めていた輪島実(当時)の練習試合で、審判の手伝いをするよう誘われた。同校には当時、後にプロ野球広島に入団する丸木唯投手がおり、「野球を見る目は鍛えられた」。連日通い詰める姿が地元在住の県野球協会関係者の目に留まり、程なくして同協会審判部に登録した。 その後は着実にステップアップ。アマチュア野球を統括する全日本野球協会は、技術向上を目的に2015年からライセンス制度を導入しており、山上さんは17年に最上位の国際審判員に認定された。同年に派遣されたU15(15歳以下)アジア選手権には、このセンバツに出場する内山壮真選手(1年)ら星稜のメンバーが日本代表にいた縁もある。 「山上石油」の社長を務めながら、社会人なども含め年間100試合程度を担当する。時には片道2時間ほどかけて金沢の球場にも出向くが、「審判部輪島支部の仲間が地元の試合を担当してくれるおかげで大きな試合の審判ができる」と感謝を忘れない。今回も、地理的な制約が大きい能登から甲子園の審判員が出ることに意義があると考える。 ◇選択肢いくつも 聖地に立つ感慨は深いが、「次に派遣される県内の審判に目標とされるような姿を見せたい」と地に足を着ける。「野球に携わる選択肢はたくさんある。こういう人生もあるよ、と伝えたいですね」。次代を担う若者に伝えたいことだ。