阿川佐和子「お礼状下手」
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。去年の暮れ、お中元のお礼状が書けないまま年末がきてしまい、年が明け今度は各所から年賀状が届き、返礼すべきところが倍増したんだそうで――。 ※本記事は『婦人公論』2024年4月号に掲載されたものです * * * * * * * 書かねばならぬお礼状がたまっている。 いつからたまったかというと、だいぶ前から。去年の暮れよりさらに前、お中元のお礼もきちんとしないうちに年末が訪れた。まずいまずい。そう思っていたら年が明け、今度は各所から年賀状が届いた。 返礼すべきところが倍加した。 以前に比べて年賀状は減った。メールで届く新年のご挨拶が増えたせいだと思われる。 メールのご挨拶に対しては、まあまあ迅速に対応できる。手書きの年賀状を書くよりは手軽だ。とはいえ、すべてのやりとりをメールで済ませようという気にはならない。 アナログ世代特有の戸惑いとでも申しましょうか、丁寧な手書きの年賀状をくださった方には、手書きの返信をするべきだと、心の中で思っている。思うだけは、思っている。
お礼状もさることながら、そもそも年内に年賀状を書くべきなのである。それが世の常識というものだ。 しかし私は子供の頃から今に至るまで、年内に年賀状を書き上げた記憶がない。年の瀬はなにかと忙しい。子供の頃は期末試験や遊ぶことや親に叱られて落ち込むことに忙しかった。 大人になると、忘年会があったり年内に始末しなければならない用事がたまっていたり、なによりクリスマスが訪れるまでは気分はジングルベル。 クリスマスが過ぎた途端に、「あ、年末だ!」と気づき、「年賀状を買わなければ!」と慌て、「この締め切りとこの締め切りは来年までと言われているから大丈夫」とニンマリし、一年の疲れがどっと出たと自らを労って惰眠をむさぼっているうち、不思議ですね、たった一週間で新しい年は訪れるのだから驚く。毎年、驚く。 とまあ、そんな体たらくで新年を迎えてみれば、「元日ぐらいはのんびりしよう」と怠け、二日、三日も同様にだらだらデレデレ、箱根駅伝を観ているうちに日が暮れて、四日あたりにふと気づく。 「年賀状にかこつけて、お礼状を書こう!」 そのために前もって買っておいた年賀葉書二十枚をテーブルに重ね、ようやく書き始めるという具合である。 志高けれど、行い伴わず。 二、三枚書くと、すっかり疲れ、ペンを置く。すると一月も五日あたりから世あの中が動き出し、「あ、やばい! 原稿の締め切り、明日だ!」と慌ててパソコンに向かうため、年賀状書きは、だいたいそのあたりでいったん休止と相成る。