阿川佐和子「お礼状下手」
父は生前、よく言っていた。 「お礼状を書かなきゃいけない、と思うだけで苦になる」 そう文句を言うわりに、私と違って律儀な性格だったのか、食卓に座り、葉書とボールペンを用意して、礼状書きに専念する。ただ、この苦行を一人で背負うのが嫌らしく、台所にいる母に向かって、 「おい、切手を出して、そばでちゃんと見守っててくれないか」 母はしかたなく手に切手を持ち、父の隣に座って次の指示を待つはめとなる。 「この字でいいのか? 住所は間違っていないか? このボールペンは出が悪いぞ。何を頂戴したんだっけ?」 父の細々した質問に、母が即座に対応することを望んでいるのだ。 あるとき知人から、「おみかんをお送りいたしましたので、まもなく着くと思います」という電話をいただいた。その報告を受けた父は喜ぶかと思いきや、 「ああ、また礼状を書かなきゃならん」 眉間に皺を寄せて溜め息をつくと、から葉書を取り出して、礼状を書き始めた。 「このたびはおいしいみかんをたくさんお届けいただき、まことに有り難う存じます」 まだみかんは届いていないというのに、苦になる礼状書きを先に済ませたのであった。
娘の私は父ほど頂き物を苦にする性格ではない。みかんもリンゴもお菓子も漬け物も、おいしいものをいただくのは大好きだ。送ってくださった方に心から感謝の念を抱く。ただ、残念なことに、その感謝の気持を当意即妙に表す能力に欠けている。 今、私の前に、絵葉書の山が積まれている。積んだのは私だ。書きやすいペンの用意もできている。 父のように、この姿を亭主や秘書アヤヤに見守ってもらいたいなどと、そんな甘ったれたことは望んでいない。望んでも誰も来てくれないし。そして、おもむろに絵葉書の山に手を伸ばす。さて、どの絵葉書でどなたに出そうかしら……。 昔から旅先で絵葉書を買うのが好きである。美術館や神社仏閣で買った絵葉書をたくさんため込んでいる。 どうやら母にも同じ趣味があったらしく、両親亡きあと実家の整理をした折、未使用の絵葉書が大量に出てきた。もったいないからすべて持ち帰った。未使用にもかかわらず、四十年五十年もののビンテージ絵葉書も多くある。 ハワイのビーチやスペインのフラメンコダンサーの絵葉書、岡山県の大原美術館で買った絵画の絵葉書、ニューヨークで見つけたポップな赤ちゃんの絵葉書、猫の絵葉書、山本容子さんの銅版画カレンダーを切ってつくった絵葉書……。