《日本の名分イントロドン!》秋の夜長に読んでほしい!古典名作わかります?
冒頭一文の深さを味わう
さて、これと同じようなことを、名文家として知られた谷崎潤一郎も『文章読本』の中で記しています。 《「名文」とは、「長く記憶にとどまるような深い印象を与えるもの」「何度も繰り返して読めば読むほど滋味の出るもの」》(『感覚を研(みが)くこと』より)。 古典と呼ばれる作品は総じて、このような性質を兼ねていると思いますが、それは実は、音の世界によって成り立った日本語の伝統的な、文章に対する感覚の磨き方です。 谷崎は言います。《文章に対する感覚を研くのには、昔の寺子屋式の教授法が最も適している(中略)繰り返し繰り返し音読せしめる、或(ある)いは暗誦(あんしょう)せしめるという方法は、まことに気の長い、のろくさいやり方のようでありますが、実はこれが何より有効なのであります》と。 古典の世界は、音の世界。音を噛みしめることによって、味わい深い文章の感覚を養うことができる。 冒頭の一文からギューッと読者の心をとらえる作家の文章は往々にして、古典と共通する音の世界を大事にしているのではないかと思います。 名文イントロクイズ、クイズではあっても、どうぞ音読して、冒頭の文章の深さを味わっていただければと思います。
名作タイトルあてクイズ!
どこまでわかる? LEVEL1:この書き出しで始まるを答えよ (1)天地(あめつち)の初發(はじめ)の時、高天(たかま)の原に成りませる神の名は、天の御中主(みなかぬし)の神。次に高御産巣日(たかみむすひ)の神。次に神産巣日(かみむすひ)の神。この三柱の神は、みな獨神に成りまして、身を隱したまひき。 (2)篭(こ)もよみ篭持ち堀串(ふくし)もよみ堀串(ぶくし)持ちこの岡に菜摘(なつ)ます子家聞かな告(の)らさねそらみつ大和の国はおしなべて吾れこそ居れしきなべて我れこそ座(ま)せ吾れこそば告らめ家をも名をも (3)今は昔竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつゝ、萬の事につかひけり。名をば讃岐造(さぬきのみやつこ)となんいひける。その竹の中に、本光る竹ひとすぢありける。怪しがりて寄りて見るに、筒の中ひかりたり。それを見れば、三寸ばかりなる人いと美しうて居たり。 (4)男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり (5)行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。 (6)親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかもしれぬ。別段深い理由でもない。 (7)木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。 (8)女給の君江は午後三時からその日は銀座通のカッフェーへ出ればよいので、市ヶ谷本村町の貸間からぶらぶら堀端を歩み見附外から乗った乗合自動車を日比谷で下りた。 (9)ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度(ちょうど)朝なのでございましょう。 (10)学びて時に之を習う。亦(また)説(よろこ)ばしからずや