音楽家にとっての「成長」とは? ジョーダン・ラカイが語る人生とクリエイティブの再発見
オーケストラとの共演、新たな挑戦が人を成長させる
―新作では大人数のストリングスも印象的ですよね。 ジョーダン:今回はすべてをオーガニックかつアコースティックにしたかった。だから「このセクションに壮大さを与えるにはどうすればいいかな」ってなる段階で、普段ならシンセを入れたんだろうけど、今回はモータウンのオーケストラを使ったアルバムのことが浮かんだんだ。そして、そのやり方を選んだ。 たとえば「Learning」は何かを学びたいと僕の心が泣いているような曲なので、その泣く感じにはストリングスが欲しいと思った。シンセサイザーで感情の動きを伝えるのはとても難しい。ストリングスの方が物語と結びついた感情を出しやすいと思うんだ。 「Hopes and Dreams」のストリングス・アレンジもいいよね。あれは息子への愛をストーリーにした曲だ。トラックに何が必要なのか考え抜き、いくつもの選択をしたよ。基本、シンセvsオーケストラなんだけど、今回は毎回オーケストラが選ばれたってこと(笑)。 ―ストリングスに関してインスピレーションになった作品はありますか? ジョーダン:ひとつはニック・ドレイクの美しいストリング・アレンジを持つ作品(『Five Leaves Left』)。音楽的にはまるで異なる、抽象的なアレンジだけどね。あとはマーヴィン・ゲイの『What’s Going On』。ソウル・ミュージックとストリング・アレンジが組み合わさったクラシックな一枚だと思う。 その2枚に加え、ディアンジェロの「Really Love」のような今のソウルミュージックにおける使われ方も意識した。ストリングスというと古臭い、クラシックすぎると思われがちだけど、ストリングスを使っても今のサウンドにできることを知ったんだ。 ―ストリングスに加えて、これまでは自身の声を重ねていたのが、今回は複数のシンガーがクワイアとして参加していますね。 ジョーダン:ロジスティックな理由の一つは、自分の声で自分のバックを歌うと、同じ声同士なのでミックスするのがすごく難しくなる。かえってフィットさせるのが難しくなるんだ。今回のレコーディング中にイメージしていたのは、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのバックコーラス(アイ・スリーズ)を一本のマイクで捉えることで生まれるエネルギーだね。他にもモータウンのレコードや、アレサ・フランクリンのバックシンガーたちも一本のマイクで歌っていた。各シンガーの前にそれぞれマイクを置くのではなく、スタジオ全体のエネルギーを一本のマイクで捉えることってすごく良いなと思ったんだ。 だから、一本のマイクの前に6人のシンガーを立たせ、自然にバランスを取り合う歌い方をしてもらった。ハイファイな録音技術よりも、エモーションとエネルギー次第なんだよ。つまり、どうやって伝えるかの問題なんだよね。「Freedom」の時も「もっとエネルギーを込めて」と僕が言い続けたら、ものすごくパワフルなものが録れたんだ。 ―本物のオーケストラやクワイアを入れることに関しても”自分がコントロールできない部分”を楽しめるようになった、ということかもしれませんね。 ジョーダン:特にストリングス奏者との仕事はおもしろかった。当然彼らは譜面に書かれたことを演奏する。そんな彼らに対し、僕が出す指示は抽象的なんだ。というのも僕は編曲家と言えるほどのボキャブラリーがないから「35小節目ではディクレッシェンドで演奏してほしい」とかじゃなくて、「このセクションからはもっと泣き叫ぶような感じで」みたいになってしまう。だから、目の前の譜面を正確に演奏をするようなクラシックのストリング奏者に自分が伝えたい感情を伝え、演奏してもらうというのは、僕にとっては大きな学びの経験だった。普段の慣れたやり方から一歩踏み出すいい機会だったと思うよ。 ―過去2作は内省的な作品で、痛みや弱さみたいなものを感じさせる部分がかなりありました。一方、今作はすごくオープンで喜怒哀楽のすべてが入っていて、喜びや優しさ、祝福を感じました。新作ではそんな感情をどんなサウンドで表現しようとしましたか? ジョーダン:自分の中でキーワードになった言葉はいくつかあったんだけど、なかでもambitious(野心的な)とeuphoric(多幸感)だったかな。デザインの世界で言われることだけど、マキシマリスト的なアプローチをとったんだ。「Freedom」「Friend or Foe」「Learning」といった曲がそう。 例えば、「Friend of Foe」の場合はtriumphant(勇ましく)とかambitiousなサウンドにしたかったので、ホーンセクションもオーケストラもクワイアもいるだけ全部使う、というように最大レベルまで追求した。 逆に、「Little Life」のような脆さのある曲ではすべてをそぎ落とし、ピアノとヴォーカルだけにしてその脆さを音で表現しようとした。つまりは感情に100%コミットし、音楽が曲の持つ感情に寄り添うものにする。そのためにやれることは全部やったし、重ねられる限りのレイヤーを重ねた。さりげなく…というのとは真逆で、全ては極端にやったんだ。今回はそうすることでエネルギーを生み出したってこと。 ―過去の作品に対して、今作は音楽的にどんな位置づけのアルバムだと説明することができますか? ジョーダン:一番気に入ってるアルバムの1枚であることは間違いないよ。僕はアルバムって兄弟みたいなものだと思っている。1stの『Cloak』はソウルフルでリズミック、かなりヒップホップの要素のあるアルバムだった。その意味で今作は『Cloak』の音楽世界に近い、兄貴のようなアルバムなのだと思う。 『Cloak』を作った時、僕は19歳で、スティーヴィー・ワンダーやディアンジェロを聴いていた。今回はその時と同じ時代に戻り、さらに豪華で野心的なヴァージョンを目指したと言っていい。ソウル・ミュージックだけどシンセではなく、バンドとオーケストラが入っている点が違うところだね。たいてい、アルバムは作り終えると数カ月であまり聴かなくなるか、心は次に進んでいる。でも『The Loop』に関しては、今もすごく満足している。それは誰かのためではなく、自分が好きなものを表現しただけのリアルなアルバムだからだ。 ―新作での伝統的な制作方法について知ると、今までは”若くて新しいことをやっている”部分もあったと思いますが、新作であなたは別のレベルに到達した気もするんです。僕はアーティストとしてあなたが成長する過程を垣間見ているようにも感じています。 ジョーダン:僕がアルバムを作るたびに心がけているのは、ミュージシャン、プロデューサーとして深いところまで自分を追い込み、成長すること。でも実際にスタジオで大勢のミュージシャンやオーケストラと仕事をするのは初めてということもあり、怖い部分もあった。だって、それだけのことをやるには相当の予算が費やされてるわけだからね。でもミュージシャンたちとのコミュニケーションは、彼らが素晴らしかったこともあり、想像したよりは楽だった。だから、コミュニケーターとして、一歩上に上がれた気はしている。スタジオでは感情を言葉にして、それを引き出すためのコミュニケーション能力が非常に重要なんだ。今となってはコンピューターの前に座って、ひとりでビートを作り出す方がずっと難しいと感じるよ。だってドラマーに「こういうのがほしい」と伝えたら、すぐに驚くようなものが返ってきたからね。だから、これからも大がかりなアルバムを作ってみたいと思う。 それに音楽の大事さはこういったコミュニティ感にあるんだと、気づかされたんだ。それこそ何百年、何千年前、火を焚いて、その周りで人が集まって歌っていた音楽ってこと。今、音楽はコンピューターで孤立化したものになってしまってる。15人のミュージシャンが一つの部屋に戻り、曲について話をしたり、演奏したり……そういうのに立ち戻るのもいいなと感じたんだ。そういう意味でも、多くを学んだと思うよ。 --- ジョーダン・ラカイ 『The Loop』 発売中
Mitsutaka Nagira