「もっと山の話を聞きたかった・・・」K2滑落の登山家平出和也さん、25年来親交重ねた記者の思い
〈評伝 平出和也さん〉 ぶっちぎりの体力、山への意識も別格
平出和也さんと出会ったのは25年前。東海大山岳部に入部したばかりだった当時の活躍ぶりは鮮明だ。記者も出場した首都圏の大学山岳部対抗のマラソン大会でぶっちぎりの走りを見せ、個人と団体で優勝をもぎ取った。「本当に山岳部員なのか」と周囲を驚かせた。その後も在学中に中国チベット自治区のチョーオユー(8201メートル)を無酸素で登頂し、スキーの滑降を成功させた。登山を本格的に始めた頃から体力だけでなく、山に対する意識も別格な人だった。 【写真】平出さんらが2018年に下見した際に撮影したK2の西壁
命を懸けるほどの挑戦も・・・伝わらない歯がゆさ
大学卒業後の2006年に再会し、取材した時は石井スポーツ入社3年目。店員として都内の店舗に立っていた。ヒマラヤの6千メートル峰の未踏ルート開拓などを繰り返していたが、当時は登山家としては無名だった。
毎日、自宅から勤務先まで往復50キロを自転車で走るトレーニングを重ね、未踏ルートに挑んで足の指を凍傷で失った。「命を懸けるほどの挑戦をし、努力もしている」。それでも、他のスポーツのようにオリンピックで賞賛されることもない。登山の世界では七大陸最高峰の最年少登頂記録のような「分かりやすさ」に一般メディアは注目。そんな状況に歯がゆさを感じているようだった。
独学の映像技術、唯一無二の光景
未踏を目指す登山には、審判もいなければ順位もつかない。一般には理解されづらいその営みの本質と魅力を伝えよう―と挑んだ。映像技術を独学し、ドローン撮影のほか、固定カメラに向かって遠くから歩いて通過後に回収に行くといった撮影方法を駆使。酸素が平地の半分以下となる6、7千メートル地帯で記録したそれらの映像は唯一無二の作品と言える。
山の語り止まらない情熱家
時には裏方として撮影スタッフに徹し、「主役」の被写体を救護することも。登山自体も国際的に評価され、世界的な活躍をした登山家に贈られる「ピオレドール(黄金のピッケル)賞」の受賞につながった。山岳映像の可能性も広げ、山の話になると語りが止まらない情熱家だった。
登山の情報がインターネットで容易に入手でき、衛星画像が未知の世界をなくしたかのように思える現代。そんな時代に、人が踏み入れたことのない地上の光景やリアルな手触り、その場に立つことでしか得られない感動を、映像を通じて私たちに伝えてくれた功績は計り知れない。