遠くからでもバレる!インドでほぼ確でボラれる日本人「歩き方のクセ」、「騙しやすい奴」と思われてしまうワケ
多様性の時代、文化人類学の必要性がだんだんに認知されるようになってきました。本稿では一人の人類学者が「自分壊し」の旅に出た顛末をつづった『ヘタレ人類学者、沙漠をゆく』より、インド人が日本人旅行者を間違いなく見分けられる理由を文化の違いから解説します(一部抜粋・再構成しています)。 【写真】市場で商売の途中でも寝ちゃう、欲望に忠実な人(写真:筆者撮影) ■「自分を壊し」にインドの旅へ 「もう帰りたい」 ずっとそう思いながらインドを旅していた。大学1年の夏休み、1か月ほど「自分壊し」の旅でインドをふらふらしていた僕は、インド世界の持つ独特の圧迫感に疲れてきていた。
何度か体調を崩してもいたし、何より基本的な生活のインフラが整備されていない日々を送ることに、辟易としていた。お湯は出ない、すぐに断水する、すぐに停電する、ベッドの湿気がひどい、エアコンなど気の利いた温度調節ができる家電もない。 シャワーを浴びたいからお湯をなんとかしてくれ! と頼むと、バケツ一杯の熱湯を渡されることもしばしば。道を歩けば、徘徊する牛のツノ攻撃と、奴らが散らかした足元の糞に、細心の注意を払わなければならなかった(何度も失敗)。乱暴な運転の車やバイクや自転車たちとの接触も怖いし、クラクションが寝ている間も襲ってくる。
自分が日本で、いかに快適な生活を送っていたのか、身にしみてわかる。蛇口をひねれば冷水や温水がジャージャー流れ出す国。快適な室温で暮らせる国。交通機関が定時に、正確に、安全に運行されている国。お腹にやさしい、油分や塩味や刺激の少ない料理が何処でも食べられる国……。あたりまえだと思っていたもののありがたみが、嫌というほどわかる。 しかし、そんなことよりも何よりも、 目下の問題は、耐えられない孤独感だった。気さくなインドの人々は、初めて会った時から「オー! フレンド!」と寄ってくるし、二度目に会ったら、もうそれは親友に近い何かに昇格している。肩を組みながら(時には男同士でも手を繫ぎながら)街歩きだってできる。この気やすさと身体接触の執拗さは、本当にすごい。