「狩猟もしてないし、野菜も育ててないよ」三上博史 今はひっそり山暮らしの理由
「そのころは、アメリカの西海岸に自分のアパートがあったんです。ふらりと立ち寄った小さな街で、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の舞台を偶然観ました。何も予備知識はなかったのですが、音楽がものすごく印象に残って、20代からやってきた自分のバンドでこういうのをやれたらいいだろうなって思ったんです。それで、日本に帰って来て、ヘドウィグっていうのがあってね、と周囲の人たちに話したら、これから日本でも公演しようと思っていると聞いて。その後、紆余曲折の末、僕にお話が来て、初演をやらせてもらうことになりました」 東ベルリンで生まれ育ったヘドウィグは、愛と自由を得るために性転換手術するも、手術ミスによりアングリーインチ(怒りの1インチ)を残されてしまった。自らの生い立ちと心情をせつなくも情熱的に語り、『オリジン・オブ・ラブ』や『アングリー・インチ』などの名曲を歌い上げた三上。そのセクシー、かつ力強い歌声と圧倒的な存在感は見る者を魅了した。 やがて、公演を重ねるごとに熱狂的なリピーターを生んだ舞台は、観客の再演を望む声に応える形で翌年、再演が実現。三上のヘドウィグは、伝説となった。 今回は、三上博史とロックバンド“アングリーインチ”のライブバージョンで進行される。 「ヘドウィグの扮装はします。でも、今日も靴のフィッティングとかしたんですけど、20年前と同じような10センチのピンヒールを履くのは無理だろう、と。今回は、お芝居はなくて曲だけの披露になりますが、20周年のお祭りだし、もともと楽曲をやりたいと思っていた僕からすれば、最初に戻るような感覚です。本家のジョン・キャメロン・ミッチェルの音は、エイティーズのブリティッシュサウンドで軽い感じにしているところを、僕らは、あえて重低音を意識して日本オリジナルのヘドウィグに挑戦しました。今回、舞台をともにするメンバーは、以前から、ずっと付き合ってきたミュージシャンたちで音楽活動を休んでいた人もいますが、オリジナルの顔が勢揃いします。僕らの20年間の人生がステージに現れると思うので、深みも増して面白いことになるだろうなと思っています」 三上博史といえば、15歳で寺山修司に見い出され、寺山が監督するフランス映画『草迷宮』で鮮烈にデビュー。寺山から、「お前は俺の演劇に出なくていい」と言われ、自分は舞台に向いていないと、長年、演劇を避けてきたそうだ。しかし、’03年に寺山修司没後20年記念公演『青ひげ公の城』に主演したのを機に、活動の場を舞台にも広げた。 「当時40歳くらいで、役者をやめようと思っていたんです。人様にさらす姿じゃないというのもあったし、もういいかなという思いが強かった。それが『青ひげ公の城』という作品で、こんなに自由に生きられる場所があるんだ! と目から鱗が落ちるように先が開けたんですよ。そこからですね、演劇に傾倒していったのは」 演劇を本格的に始めてからの三上は、蜷川幸雄さん演出の『あわれ彼女は娼婦』や『タンゴ・冬の終わりに』などに主演。演劇の世界でもその名を轟かせた。また、そのいっぽうで、青森県三沢市の寺山修司記念館で追悼ライブを何十年間にわたって続けてきた三上。今年1月、寺山の没後40年記念の舞台『三上博史 歌劇』ではライブと演劇を融合させたオリジナル作品を自ら構成・主演した。 この20年間の月日のなかで、役者として心境の変化はあったのだろうか。