「新潮文庫」の謎 なぜ、名作・傑作がそろっているのか ヒットの軌跡・新潮文庫(上)
現在まで続く文庫本では最も古い
672ページで1375円という重厚な文庫本が大ヒットし、書籍業界を沸かせた。ガルシア=マルケスの長編小説『百年の孤独』は品切れが続出する異例の売れ行きを記録。仕掛けたのは新潮文庫だ。夏のキャンペーン企画「新潮文庫の100冊」でもおなじみで、日本で最も長い歴史を持つ文庫レーベルは今年、創刊110年を迎えた。 割と誤解されやすいが、日本初の文庫は岩波文庫ではない。岩波文庫は1927年の創刊だが、新潮文庫は1914年の創刊で、13年も早い。それ以前に小型版叢書(そうしょ)の「袖珍名著文庫」や講談本シリーズの「立川文庫」があったが、姿を消していて、現在まで続く文庫では新潮文庫が最も古い。 「当初は海外の古典を全訳で廉価に出版するという志で始まった」と、新潮社文庫出版部の佐々木勉部長は創刊当初のいきさつを語る。実際、第1期の初回配本はトルストイの『人生論』や、ゲーテの『若きヱルテルの悩み』、ドストエフスキーの『白痴』など6点だった。 戦時期をはさんで中断があり、現在も刊行が続いている新潮文庫は第4期にあたる。戦後第1号は川端康成著『雪国』だった。かつては歴史的な名作がラインアップの柱だったが、段階的に大衆的な傑作も収めるようになった。
戦後に加わった巻末の解説が読者層を拡大
文学史に残る名作・傑作リストを丸ごと写し込んだかのようなタイトルが並ぶ。日本文学では『金閣寺』『山椒魚』『黒い雨』『海と毒薬』『伊豆の踊子』『雪国』『砂の女』『沈黙』『檸檬』など、国語教科書の常連がそろう。祖業にあたる海外作品も『異邦人』『星の王子さま』『老人と海』『赤毛のアン』『変身』『罪と罰』『最後のひと葉』『風と共に去りぬ』『チップス先生、さようなら』などが連なる。 戦後に加わったのが巻末の解説だ。読者層を広げる上で効果があったという。岩波文庫や角川文庫などの後発レーベルが生まれ、同時代の現代文学を収めるようになったのも戦後の大きな変化だ。 現在では大手出版社の多くが文庫レーベルを持つようになっていて、文庫市場の競合が激しい。しかし、新潮文庫が現在に至る特別な立場を得るにあたっては、「スタート時期の早さが幸いした」(佐々木氏)。講談社が文庫を立ち上げたのは1971年。文春文庫は74年、集英社文庫は77年の創刊とかなり後だ。 現在では単行本を出した出版社が文庫化も自社で担うケースが多い。だが、文庫レーベルが少なかった時代には他社から出た単行本であっても、新潮文庫が主な受け皿になり得た。「新潮文庫での文庫化を望めば、実現しやすい状況があった」(佐々木氏)という。 例えば、新潮文庫の単独著作で累計販売部数が最も多い夏目漱石の小説『こころ』は、最初の単行本が岩波書店から出ている。でも、文庫版は新潮文庫から出て、今も新潮文庫にとどまっている。現在では岩波文庫のほか、集英社文庫や角川文庫からも出ているが、「新潮文庫の100冊」で親しんだ読者が多いこともあって、新潮文庫版のイメージは根強い。