【中川李枝子さん×宮﨑駿さん・対談】『いやいやえん』から生まれたアニメ「くじらとり」。すべては子どもから教わったこと
大学生の時に出会った『いやいやえん』。とんでもない本が出たと思いました~宮﨑さん
絵本「ぐりとぐら」シリーズで親しまれた児童文学作家の中川李枝子さんが逝去され、全国の図書館や書店ではその存在を惜しみ次々と企画が催されています。 Hugkumでは、中川さんへの追悼として、NHKラジオ「みんなの子育て⭐︎深夜便」のアンカーを務める村上里和さんの企画で実現した、2018年に行われた、宮﨑駿監督との対談をお届けします。中川さんのデビュー作でありながら普及の名作『いやいやえん』はいかにして生まれたのか。また、アニメ「くじらとり」を手がけた宮﨑監督が『いやいやえん』に魅せられたワケとは? 中川李枝子さん×宮﨑駿さん対談中の様子 村上 宮﨑さんと中川さんの出会いは、どういうものだったのでしょうか? 宮﨑 学生の頃です。僕が学生だったのは1960年代の頭の頃ですからね。その頃ですね『いやいやえん』が出たのは。これは驚天動地というか、今でもそう思いますけど、本当に素晴らしいものが出たと思いましたね。 村上 どんなところに、そんなに感動されたんですか? 宮﨑 だって保育園の中に海ができて…海ができてじゃないですよ、海になってて、鯨が泳いでいるっていうね(※『いやいやえん』収録の短編「くじらとり」。)まったく、それがスムーズにつながっていくんですよ。理屈で考えていくと、異世界でつながったんだとか、いろんな仕組みを考えないといけないっていうふうに思うんだけど、中川さんの手にかかると、突然ちゃんと海になっちゃうんです。 謎めいたことがいっぱいありましてね。例えばガスコンロを持って行こうってあるんですが、なんだガス台なんかがね、登場するんだろうって。これ、中川さんに伺ってはじめてわかったんだけど、中川さんがいらっしゃった保育園に古いガスコンロがあって、子どもたちがそれを使っていろんな遊びをしてたって。その説明を聞くまでは謎のガスコンロです(笑)。 村上 1962年に『いやいやえん』が出版され、これが中川さんのデビュー作でした。その頃中川さんは保育園にお勤めで、宮﨑さんは大学生だったんですね。 宮﨑 学生でした。児童文学研究会っていって5~6人集まってたんだけど、何も研究しないでデモばっかり行ってるとか、そんなことばかりやってました。でも、これはとんでもない本が出たと本当に思ったものです。小さい子どもの世界はね、こうなんだろうと思った。 中川 「くじらとり」はね、子どもたちがいっつもやってた遊びなんですよ。子どもたちはニュースを結構見てるんです。南極から帰ってきた人たちが花束をもらうっていうシーンが、子どもにとってなんか面白かったらしいんですよね。その遊びを私はいつも見てたんですけど、私も同人誌なんかに入ったもんで、作品を一つ書かなきゃならなくて困っちゃって。 で、子どもたちが退屈してる日があるんですよ。なんにもやる気がしなくて。何かあったら、一発ケンカしようかっていう不穏な日が! ぐでぐでしてるんです。そのときにね、「あ、そうだ。今日はみんなでお話づくりしない?」って言ったら、乗ってきたの。それが「くじらとり」の話になったの。 宮﨑 面白いなあ。 中川 いつも遊んでることに、さらに面白いことを上乗せして、子どもたちが順番に話していったの。それで、あの話ができたんですよ。私はみんなからネタをもらったのね。こりゃうまくいったと思って。でも、何度もやりましたけど、二度と、ああいううまい話はできなかった。 宮﨑 ははは。ああ、そうですか。 村上 子どもたちから出た話だったんですね~! 中川 そうなんですよね。「くじらとり」に行こうってことになったのは、どうしてなったのかしら…わからないんですけどね。