荀彧・郭嘉・司馬懿・周瑜・魯粛・諸葛亮、天才6人がバトルしたらどうなる?
約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか? 【画像】清代の書物の黄巾の乱。劉備、関羽、張飛の3人 ■ 天才6人の勝ち方 前2回の記事で解説してきた、三国志の天才軍師たちの戦い方と勝ち方。ここで振り返りとして、天才6名の勝ち方をまとめて列挙しておきたいと思います。 【荀彧】大局的な流れを読み、物事の帰結を想定して策を組む。その帰結に向けた要所を押さえていく。その結果、荀彧の陣営には追い風が吹く情勢を創り出す。 【郭嘉】ベストの効果を期待できる攻撃先に、打撃力を集中させる。優先順位の洞察が秀逸で、無駄なことに戦力を一切割かない。 【司馬懿】臨機応変に、相手のもっとも弱いところを攻撃する。相手から見えるこちらの弱点は徹底補強する。相手の弱みにつけこむことに躊躇しない。 【周瑜】敵の弱みにこちらの強みをぶつける。双方の強弱を比較して、こちらが強い状態を維持できる局面を選び、進路を取る。 【魯粛】転換点を先に読み、既存の考え方を捨てて、発想をジャンプさせる力(構想力)が最大の能力。新しい状況が求める、新しい構想を創り上げる。詰将棋のような対応も好む。 【諸葛亮】統率と秩序の確立による「組織力の最大化」。統率と秩序を元にした計画性。組織の多数の人物の力を、一つの方向に結束させる。 6名の天才はそれぞれ、生まれた年も生まれた地域も違います。彼らは自らが活躍した時代と場所での最適解を、自分の才能と掛け合わせる形で人生を駆け抜けました。同時に、やはり彼ら自身の性格や精神性は、その勝ち方や戦い方に表現されていると思われます。
■ なぜ天才たちは勝ち方が違うのか? 2つの考え方があります。1つ目は、彼らの生まれた年と場所で、青年期までに直面した社会混乱の元凶が異なること。最年長の荀彧は163年生まれであり、後漢帝国の崩壊としての黄巾の乱(184年)は、彼が二十歳頃の出来事です。 もし荀彧が、後漢帝国末期でも比較的安定した時代と社会を少年期に見ているなら、荀彧にとっての理想とは、後漢帝国の安定期を再来させるような政策と方向性だったでしょう。一方で、6名の天才の中で、違う社会的脅威を青年期に感じた者たちがいます。 193年と194年に、曹操は徐州で大虐殺をおこなったとされています。理由は曹操の父がこの地域で殺されたことで、当時の支配者である陶謙を討伐に出向いたことです。陶謙はこの戦闘では打倒できず、従軍の前後で曹操軍は非道にも大虐殺をおこなっています。 その結果、この地域にいた諸葛瑾、諸葛亮、魯粛などは南方に避難しています。南方に避難したこれらの英雄たちは、のちに曹操の敵になることになります。青年期にこの曹操の大虐殺の影響を受けた者たちには、「北方の曹操こそが悪」という思考が芽生えたでしょう。 何を正しいと理解し、何を打倒すべき悪とするかは、人の思考に大きな影響を及ぼします。 2つ目は、人の才能に応じて利用できる機会の見え方が違うことです。学んできた思考法、その人の身につけた倫理観なども、戦略眼の差になりえます。同じ場所に立っても、軍師の違いによって目に見える「機会が異なる」ことが、彼らの勝ち方の差になっているのです。 ■ 6名の天才がバトルしたら、一体どんな展開になるか? 荀彧・郭嘉・司馬懿・周瑜・魯粛・諸葛亮。この6名が入り乱れてバトルを行えば、一体どんな展開になるのでしょうか。 同じ規模の小集団を持っていた場合、最初に戦闘を開始するのは周瑜になると推測します。理由は「敵の弱みにこちらの強みをぶつける」戦略では、シンプルに機会が発見しやすいからです。自分より弱い相手を叩く、というのは有名なランチェスター戦略に通じます。 周瑜から見れば、小さな周辺豪族のうち、自分たちの集団よりも小さくて弱く、しかも攻めやすい場所にある相手は、「叩いて編入しなければいけない相手」に見えるでしょう。逆に、自分たちが先手を打たないと、他の勢力に奪われて相対的な不利が加速しかねません。 周瑜が最初に戦闘を開始し、自分より弱い相手を攻略して編入しながら少しずつ領地を拡大していく。この周瑜の行動の影響が引き金になり、他の5名の天才も動き出す。 2番目に戦闘を開始するのは郭嘉。理由は、自己と周囲の者の安全を確保するため、必要な防備を固めるため。周辺豪族や行政官を巻き込んで、自衛できる要塞のような組織を構築していく。自衛できる要塞が完成すれば、さらなる安定を求めて同盟を組む相手を探す。 司馬懿は、歴史的な名門司馬氏の出身ということもあり、身の危険を感じないあいだは、相対的に安定した勢力、これから勝利が濃厚である勢力の中に秘かに取り入り、獅子身中の虫のように、目立たないけれど権力を次第に積み上げて重鎮になるように進んでいく。 逆に、どの勢力が明確に優勢であるか分からないうちは、司馬懿は身を潜めていることを選ぶかもしれません。乱戦の初期のリスクに直面したくない、という狡猾な発想からです。