【何観る週末シネマ】社会風刺の冒険的話題作品『クラブゼロ』監督に直接インタビュー
長編2作目『Lovely Rita ラブリー・リタ』(2001)では、強烈な個性と攻撃的なラストを世界に見せつけたジェシカ・ハウスターの社会風刺の冒険的な最新作『クラブゼロ』が、12月6日から公開となった。 【写真】社会風刺の冒険的話題作品『クラブゼロ』場面写真 デリケートな部分を揺さぶることが得意ともいえるジェシカ。例えば『ルルドの泉』(2014)の場合は、信仰心がそれほどあるわけでもない、全身麻痺の主人公がパワースポット巡りで極端に回復したことにより、神への信仰の大小が奇跡を起こすのではないと知った信者や関係者たちの表には出さない逆恨みと、そもそも信仰心とは何か、平等とは何かを皮肉的に捉えた。 また前作『リトル・ジョー』(2019)では、現代のSNSやAIが人間の思考や行動を操っているという支配構造を特殊な植物として描くなど、常にドライで俯瞰的な目線で世界を切り取っている。 切り口は違ったとしても、社会構造を俯瞰的に見たものという部分で、共通したテーマを感じるのだが、近年のジェシカ作品を観てみると、和の要素がいくらか含まれているようにも感じられる。『リトル・ジョー』の場合は、伊藤貞司の音楽によって、怪談テイストに演出されていたのも印象深い。といっても、伊藤貞司は、海外の音楽シーンで活躍していたアーティストでもあることから、あえて和を求めたということでもないのかもしれない。 その点も含めて、気になることをジェシカ・ハウスナー監督に直接インタビューしてきた。 ーー前作『リトル・ジョー』は、世界の支配構造への風刺が下敷きとしてあったと思うのですが、今作においても、世界に”当たり前”としてある、人間が作り出した概念や価値観の不安定さ、それは信仰宗教なども含めてですが、監督はそんな不安定な部分を刺激することが得意というか、好きなのかな?と、今までの作品を観ていると感じるのですが、作品の共通のテーマとして、人間のグレーな部分を描いてやろう!という意識は強いのでしょうか? また今作を観て、信念を強くもてと人は言いますが、極端に信念は狂気にもなるんだ!という皮肉もすごく感じました。 私の作品のことを深く理解していただきありがとうございます。今作に関しては、私たちの脳裏にある考え方と、社会のルールによって、いかに影響を受けているかを描いています。例えば私たちの行動や思考、あるいは何かに対する違和感も、それこそが良くも悪くも社会のルールによって動かされていることへの指摘となっています。 また”行き過ぎる”ことによる弊害と、概念による力、影響力といった点も今作では描きたいと思っていました。 ーー『リトル・ジョー』の場合は、伊藤貞司の音楽を起用していたこともあったとは思うのですが、今作においても、メイクの部分で黒澤明監督の『どですかでん』(1970)を参考にしていると聞きました。またそれとは別としても、ところどころで和を感じるような部分があったのですが、これは意識されているのでしょうか? 初期作『Lovely Rita ラブリー・リタ』~『ルルドの泉で』(2014年の『Amour Fou』だけ日本で観れないため観ていません)では、そういった要素はなかったと思うのですが、いつ頃から、そういったマインドになったのか教えていただきたいです。 “和”というよりもマヤ・デレン(1940年代に活躍していたアヴァンギャルド映画作家)経由です。25歳のときに『午後の網目』(1943)を観て、そこに伊藤貞司の曲が使用されていました。そこで娯楽作よりも、こういったアート作品の方が共感できることを発見しました。 効果のぶつかりという点では興味があります。日常的なシーンに和テイストな音楽、異なるものが重なることで、文化的ギャップを演出に興味があるから、自然にそうなっているのかもしれません。 また日本というと伝統的な能や歌舞伎に対しての造詣はそこまで深くないのですが、儀式化されているアートだと思っています。ヴィジュアルアートの側面からいえば、イコン画のように、ある種の儀式化されたアートというのは、西洋にも昔から存在しているので、通じる部分も多いとは思います。