『踊る!さんま御殿!!』初出演も全カット 川田裕美「仕事ゼロ」でフリーになって10年目のいま「きっかけは宮根さんだった」
30歳前後になると、友人から「転職した」「海外で働くことにした」といった声を聞く機会が増えるかもしれません。そして、はたと自分はどうあるべきか?と考えてしまう。『ミヤネ屋』でMCを務めていた川田裕美さんにも、そんな転機が訪れたといいます。(全4回中の1回) 【写真】「髪のアップは珍しいですね」あじさい柄の浴衣が映える川田裕美さん など(全13枚)
■きっかけはやっぱり宮根さんだった ── 読売テレビの局アナ時代に『情報ライブ ミヤネ屋』で注目を集め、フリーに転身されました。もともと将来はフリーになろう、東京へ行こうという意志があったのでしょうか?
川田さん:フリーになろうという気持ちはなかったですね。読売テレビの大阪本社で働いていましたが、私自身大阪で生まれて、親族はみんな大阪にいるので。関西から出ようとか、会社を辞めようとは、まったく思わずにずっと過ごしていました。ただ30歳前後になると、友人がワーキング・ホリデーで海外に行ったり、転職したりと働き方を変えだして、何か違う働き方があるのでは?と私も思うようになりました。 ただ、よくよく思い返してみると、フリーになったきかっけはやっぱり、宮根誠司さんだったと思います。『情報ライブ ミヤネ屋』は毎日、同じルーティンなのに内容は違う。放送中ですらどんどん変わっていくんですよ。宮根さんも局アナからフリーに転向された方ですが、ご自身が立ち止まっていないというか、新しいものをつねに吸収し続けようとしているんです。
プライベートを楽しむことも全力。だから、大好きなプロレスを見るだけじゃなく、自分でやると言い出して。体を鍛えるなど、仕事と同じくらいの熱量をかけて挑戦する。その姿勢に「私は本当に全力で頑張っているのだろうか。奮起して新しい挑戦をしてみるのもいいのではないか」と、思うようになりました。アナウンサーを辞めることも考えてはみましたが、自分が本当にやりたいのはこの仕事だなと改めて思って。それならフィールドを変えてみるのはどうだろう、という気持ちがわいてフリーになろうと決意しました。