『踊る!さんま御殿!!』初出演も全カット 川田裕美「仕事ゼロ」でフリーになって10年目のいま「きっかけは宮根さんだった」
── フリーになること、東京へ行くことに、ためらいや怖さはなかったですか? 川田さん:局アナを辞める前に、最悪のケースを想像してみたんです。フリーになっても所属事務所が決まらない、決まっても仕事がない、友だちもいない東京でやっていけないとなったらどうしよう、と。それでも挑戦したいのか自分に問いかけました。そして、親に相談したら「東京でやっていけなくなったら実家に帰っておいで」と言ってくれて。その安心感があったから、なんとか踏み出せた気がします。
■『踊る!さんま御殿』で自分のトークがカットされ ── フリーになって、仕事は順調でしたか? 川田さん:全然です。ゼロからのスタートで、最初はかなり少なかったです。局を辞めた後の仕事も決まっている状態が本当は安心ですが、会社に対して義理を果たしたい気持ちがあったので、白紙の状態で退職しました。 実際フリーになって感じたのは「ひとりになったんだな」ということ。仕事内容はそんなに大きく変わらなくても、局アナ時代は会社があって、アナウンス部という部署があって、仲間や先輩、後輩がいて、自分の居場所があった。こちらが聞かなくても先輩が教えてくれたりもしたし、大きなものに守られていた。何よりひとつの番組が終わっても、次の番組が用意されていた。それがどれだけありがたかったか、身にしみて感じました。
でも、しかたないですよね、自分が選んだことだから。フリーになって最初に決まったのはテレビの仕事がひとつ。古巣の読売テレビの番組でした。そこからはもう必死でした。一つひとつの現場を大切にして、仕事が徐々に増えていった感じです。 ── 次の仕事につなげるために、大切にしたことは何でしょう。 川田さん:とにかく正直でいようと、自分をムリに大きく見せずにいようと務めました。恥ずかしさを捨てて、わからないことはわからないと素直に言う。あとは、人にたくさん聞きましたね。フリーになった先輩はもちろん、芸人さんなど、ジャンルが違う方にも「こういうときはどうしたらいいですか?」と、聞くようにしていました。すごく衝撃だったのが、宮根さんからもらった「強烈な情熱がないとこの仕事は続けられないよ」という言葉。宮根さんはふだん、そういうことを言わない方です。その言葉自体にご自身が相当な努力をされてきたんだなというのが感じられて。そうか、そういう気持ちがないといけないんだと、身が引き締まる思いでしたし、自分に問う機会にもなりました。