廃業寸前、珠洲の飲食4店が再起の食堂 仮設店舗で開業「復興に必要」励まし合い
珠洲市内の仮設店舗で6日、一時は廃業寸前に追い込まれた地元の飲食4店が合同で食堂をオープンした。能登半島地震で店舗や住まいが壊れ、従業員は離散。店主たちは復活を諦めかけたが、「復興には飲食店が絶対に必要」と励まし合い、出店にこぎ着けた。「ようやくスタート地点に立てた」。地震前の日常を取り戻すための第一歩を踏み出した。 【写真】笑顔で「すずなり食堂」の定食を味わう来店客 珠洲市野々江町にある「道の駅すずなり」の敷地内に建てられた仮設店舗にオープンしたのは「すずなり食堂」。地震による被害で営業を続けられなくなったグリル瀬戸、レストラン浜中、庄屋の館、典座(てんぞ)の地元4店による合同会社「すずキッチン」が運営する。 初日は大勢の客が訪れ、店内の約50席は地元住民や工事関係者でいっぱいになった。 ●福幸丼人気集め 平日30食限定の日替わり定食「気まぐれランチ」(1200円)は30分で完売し、能登の魚介や宮城県南三陸町のサーモンを使った看板メニュー「福幸(ふっこう)丼」(2750円)も人気を集めた。 出店のきっかけをつくったのは、典座の坂本信子さん(55)だった。およそ半年前の3月11日、坂本さんは新幹線とレンタカーを乗り継ぎ、南三陸町へ向かった。 目当ては東日本大震災で被災した飲食店が軒を連ねる「さんさん商店街」。多くの客でにぎわっている様子を見て、坂本さんは食をなりわいとする自分たちが、被災地のために果たすべき役割に気付いた。 「珠洲から飲食店をしている人を逃がしてはだめ。復興には絶対飲食店が必要」。坂本さんはそう信じ、レストラン浜中の濱中康男さん(60)、庄屋の館の和田丈太郎さん(51)を誘った。濱中さんが連れてきたグリル瀬戸の瀬戸航さん(45)も加わり、出店に向けた準備をスタートした。 和田さんは自宅のある珠洲市真浦町が土砂崩れで「飛び地」状態となり、今も避難所で暮らす。瀬戸さんは元日、能登町にある妻の実家で津波に襲われ、九死に一生を得た。濱中さんは家族を避難先の金沢に残し、珠洲で仕事に励む。 ●先行して弁当店 4人は市が進める仮設店舗計画に名乗りを上げ、8月にすずキッチンを設立。代表に坂本さんが就いた。今月1日には先行して弁当店を開業した。4日は食堂の開店に先立って石川県などの復興応援モニターツアーを受け入れ、首都圏の33人に福幸丼を振る舞った。 実質的なプレオープンとなったこの日、坂本さんは他の店主や従業員に「ここがゴールじゃない。次の目標に向かって頑張ろう」と声をかけ、従業員20人の士気を高めた。 迎えた6日、食堂は120人、弁当店は190人の利用があった。坂本さんは「上々やった」と満足げな表情を浮かべ、「生きていくため、珠洲の復興のため、命があるから頑張らんと」と気合を入れ直した。 すずなり食堂は月内は無休で、午前11時~午後2時半に営業する。今月中旬以降は夜の営業も始める。