有馬芸妓、最盛期150人がわずか15人に…「歴史絶やさない」半世紀ぶり新作
「関西の奥座敷」と呼ばれる有馬温泉(神戸市北区)の芸妓(げいこ)文化「有馬芸妓」が、苦境に立たされている。団体旅行の減少など時代の変化に、コロナ禍が追い打ちをかけ、芸妓は最盛期の10分の1まで減少。地元では、半世紀ぶりに新作の舞踊を制作するなど、伝統の文化を残そうと奮闘している。(神戸総局 辻井花歩)
同カフェで、ふるさと納税の寄付を原資として2022年度に始まった無料公演。地元の歴史や文化を保存しようと、神戸市が21年度に導入した独自の認証制度「神戸歴史遺産」に有馬芸妓が選ばれたのがきっかけで、芸妓文化に気軽に触れてもらう狙いがある。
23年度には約80回開催し、1000人以上の観光客が楽しんだ。今年度も50回近い無料公演を予定する。
秀吉お墨付き
有馬芸妓の歴史は古い。起源とされるのは、室町時代に登場して温泉客の世話をした「湯女(ゆな)」。公的な職業として豊臣秀吉が給与を出したこともあった。明治時代になり、温泉浴場を洋館に建て替えた頃に呼び名が「芸妓」に変更され、旅館の宴会を盛り上げる今の形になった。
有馬芸妓が最も華やいだのが1960年代で、150人ほどの芸妓が温泉街に常駐していた。週末になると、関西各地から企業の団体客らが訪れ、お座敷遊びや踊りを楽しんだという。
しかし、生活スタイルの変化もあって徐々に団体旅行が減少。芸妓遊びを楽しむ客も減り続け、コロナ禍でほとんどなくなった。コロナ禍で半減した有馬温泉を訪れる観光客数はインバウンドが戻り、コロナ禍前の水準に近づきつつあるが、芸妓が座敷に呼ばれる機会は減ったままで、稽古代やカツラなどの維持費をまかなうため、昼間は「芸妓カフェ 一糸」で働いて生計を成り立たせているのが実情だという。
現在も残る芸妓は15人ほど。その一人で、芸歴約20年の一晴(いちはる)さんは「歴史を絶やさないよう頑張って踊り継いでいきたい」と話す。
「タニマチ」募集
久々の新作も誕生した。 有馬温泉では60年代に男女の恋愛を歌った「有馬情話」や「有馬ホイホイ節」が誕生し、人気を集めたが、それ以降は新作が生まれていなかった。しかし、地元の旅館経営者らがコロナ禍で受けたダメージを払拭(ふっしょく)しようと、国の補助金を受けて制作に動き出し、有馬ゆかりの舞踊家らの協力で2021年2月に完成した。