【課題】大阪・関西万博 建設遅れ、費用の増額、機運の低迷…様々な課題の解決は? いよいよ開幕の年 記憶に残る万博を作り上げることはできるのか
■1970年大阪万博は最終的には黒字に… 現場の『思い』を集結し魅力を発信できるかがカギ
大阪・関西万博の取材を始めて約2年半。振り返ると万博はこれまでも様々な試練の時を迎えてきた。 当初、1250億円を見込んでいた『会場建設費』は、資材価格高騰などの影響で2度増額し、その額は最大で2350億円と当初の約2倍にまで膨れ上がった。また『運営費』も、警備の強化や人件費高騰などを理由に、当初の約1.4倍となる約1160億円となる見通しに。 さらに、万博の華とも言われる「海外パビリオン」を巡っては、建設の遅れが深刻化。一時は、建設業界から「すでにデッドラインは過ぎている」という声があがる事態にまで陥った。
万博は『影』を落としてばかりなのだろうか。 様々な取材を通じて、私はある一筋の『光』を見出している。それが万博に携わる現場の人々の『思い』だ。 最新の技術も駆使して、なんとか開幕に間に合わせようと奮闘する建設現場の作業員。訪れた人々の心を震わせるような体験を提供しようと日夜、議論を交わして展示を作り上げていく各パビリオンの責任者。万博に商機を見出し自社の技術を世界に発信しようとする中小企業の経営者。 万博に携わる多くの人々がそれぞれの威信をかけて、国を挙げて行うこのビックプロジェクトを成功させようと取り組む姿を見続けてきた。 遡ること半世紀前、1970年の大阪万博の際にも、開幕前には『建設の遅れ』や『建設費の高騰』などの課題を指摘する報道があったという。しかし、フタを開けてみると、入場者数は当時の過去最多を更新する約6421万人。最終的な全体収支は190億円を超える黒字となった。 大阪府の幹部は今回の万博についても「開幕したら魅力が広まり、多くの人々に来場してもらえると確信している」と自信をのぞかせる。 10か月後の大阪・関西万博閉幕のとき、「オールドメディアが、また手のひらを返した」と言われるような、多くの人々の記憶に残る「素晴らしい万博」が開催されることを願っている。