ウォーターゲート事件との類似性も トランプ大統領がFBI長官を突然の解任
ニクソン弾劾を加速させた「土曜日の夜の虐殺」
FBIが設立されたのは1908年7月。間もなく設立から109年となるが、その歴史の中で長官が解任されたのは過去に一例しかない。 レーガン政権時の1987年11月にFBI長官に就任したウィリアム・セッションズ氏は、その後のジョージ・H.W.ブッシュ政権とクリントン政権でもFBI長官の座にいたが、クリントン大統領が就任する直前の1993年1月に公金の私的流用をめぐる疑いが浮上した。司法省内部の司法業務監査室は、「セッションズ氏が娘のもとを訪れるために政府専用機を何度も使用し、自宅の警備システムにかかる費用を政府に支払わせていた」ことを問題視。クリントン政権内部からも辞任を求める声が相次いだが、セッションズ氏はこれらの疑惑を否定する形で辞任の求めには応じなかった。結局、セッションズ氏はクリントン大統領によって、1993年7月に職を解かれている。 セッションズ氏の解任から約25年後となる2017年5月、コミー氏は解任された2人目のFBI長官となった。しかし、両氏の解任理由には大きな違いがあり、これらの解任を同一視すべきではない。コミー氏は昨年の大統領選期間中におけるトランプ陣営の中心的人物らとロシア政府との関係、そしてロシア政府がサイバー攻撃を用いてアメリカ大統領選挙を混乱に陥れたのかどうかについて、徹底した捜査を行う姿勢を見せていた。 ロサンゼルスタイムズ紙は複数の政権高官の話として、コミー長官とローゼンスタイン司法副長官が先週会談を行い、その中でコミー長官はトランプ陣営とロシアのつながりをより大きな調査で行いたい意向を示し、「予算の追加と人員の拡充」をローゼンスタイン副長官に求めていたと報じている。まさにトランプ氏の喉元に刃を突きつけたような格好となった、コミー長官の動きに対し、トランプ政権側ができるだけ早く対処すべきと考えていたことは想像に難くない。
トランプ大統領のコミー長官解任と45年前のウォーターゲート事件時のニクソン大統領の行動に、類似点を見出す米メディアも少なくない。ウォーターゲート事件の調査を行っていたアーチボルド・コックス特別検察官は、ニクソン大統領が大統領執務室で極秘に訪問者との会話を録音していた事実が議会の調査委員会で明らかになると、8本のテープを証拠品として提出するように大統領側に求めた。しかし、大統領は特別検察官のリクエストを拒否。リチャードソン司法長官とラッケルハウズ司法副長官にコックス特別検察官の解任を求めたが、2人はニクソン大統領の申し出を拒否(コックス氏の任命前に2人は捜査に干渉しないという宣誓を行っていた)。 コックス特別検察官の任命・罷免権は、司法長官にあったため、ニクソン大統領は1973年5月に司法長官に就任したばかりのリチャードソン氏に圧力をかけ続けた。同年10月20日、リチャードソン司法長官は就任から5か月で辞任を表明。ラッケルハウズ司法副長官もニクソン大統領によって辞任に追い込まれ、その日の夜にニクソン大統領は別の人物を司法長官代理に任命。司法長官代理によってコックス特別検察官は解任される。10月20日が土曜日であったため、司法長官の辞任や特別検察官の解任は「土曜日の夜の虐殺」と呼ばれ、ニクソン大統領の弾劾に向けての動きを加速させるターニングポイントとなった。