ラグジュアリーを知る“ブリオーニ”、人から始まるスローな服づくり
2024年9月23日、イタリア中南部アブルッツォ州ペンネにテーラリング学校「スクォーラ・ディ・アルタ・サルトリア・ナザレノ・フォンティコリ」を開校したブリオーニ。メゾンが職人の育成校を自社で運営するという画期的な試みには、本当のラグジュアリーとは何かを追求する真摯な姿勢が秘められている。 ◾️「ローマは1日にして成らず」 誰もが知るこのことわざにおいてローマは、一朝一夕には創造できない偉大で優れた存在の喩えとされている。小さな都市国家からヨーロッパ全域を支配する強大な帝国となるまで、実に700年以上もの年月が費やされたのだから、喩えとしてはこの上ないといえるだろう。そしてそんなローマに育まれたブリオーニもまた、一朝一夕には決して創造できないメゾンである。その象徴がイタリアのアブルッツォ州ペンネにブリオーニが開校した「スクォーラ・ディ・アルタ・サルトリア・ナザレノ・フォンティコリ」だ。 ◾️地域に根ざしたテーラリング文化の継承 日本語では「ナザレノ・フォンティコリ高級仕立て学校」となる校名に冠されたナザレノ・フォンティコリとは、ビジネスパートナーのガエタノ・サヴィーニとともに、1945年ローマにてブリオーニを創業した共同創業者である。フォンティコリは優れたサルト(仕立て職人)であり、ブリオーニも当初ビスポークテーラーであったが、瞬く間に評判となり、ふたりは事業の拡大を決意。1952年にはフィレンツェのピッティ宮殿にて、史上初となるメンズファッションショーを開催した。そして1959年にはフォンティコリの故郷アブルッツォに自社工房を創設し、早くもテーラリングブランドとしての礎を築いたのである。 アドリア海とアペニン山脈に挟まれたアブルッツォは地形が山がちであり、土地も肥沃ではないため、不毛な地でも栽培しやすいワイン用のブドウやオリーブの畑が丘陵地に広がる。また移動も容易でないことから、地域で賄うための衣料製造が発展。約2000年前の裁縫用指抜きが現地で出土したこともあるほど、その歴史は古い。ブリオーニの学校の道を挟んで目の前にある、17世紀に建立されたというペンネの受胎告知教会にも、サルトを描いた古い絵画が掲げられている。そんなアブルッツォの衣料はやがて物々交換されるようになり、20世紀にはイタリア随一のテーラリングウェアの産地となるまでに発展したのだ。