なぜ2人の個性派投手が殿堂入りしたのか…元中日の山本昌氏とヤクルト高津監督の「補欠」「魔球」「野球生命長寿」の共通点
一方の高津監督も亜細亜大では控え投手だった。 8球団がドラフトで競合したエース小池秀郎の陰に隠れる存在だったが、アンダーハンドを探していたヤクルトの故・片岡宏雄スカウト部長がブルペンでの練習から目をつけドラフト3位で指名した。 そして名将、野村克也氏と出会い、1992年の秋季キャンプで、投げかけられたひとこと…「100キロの遅いシンカーを覚えよ」が、高津監督の転機となった。 「僕の人生を左右するひとこと。今でも心に留めています」 試行錯誤の末、会得した鋭い落差でストンと落ちるシンカーは、課題だった左打者にも通用するようになり、変則投法から繰り出される140キロ台のストレートがさらに速く見えるという幻覚を生み出す”魔球”となった。 「大きな存在で武器になったが、100点だったか、完成したか、と言えばそうではなかった。もっといいボールを投げられて、もっと抑えられる本当の決め球になってくれたら良かった」 現役を引退し10年になるのに高津監督はそう悔やむ。 高津監督も山本昌氏と同じく最後まで現役にこだわった。古田氏は、この日、「Mr.ZERO」と書かれたホワイトソックスのクローザー時代に現地で購入したTシャツを持参して紹介したが、その栄光と同時にヤクルトから戦力外通告を受けた後にも米マイナー、韓国、台湾と渡り歩き、最後はBCリーグで監督兼選手としてプレーした。引退を決意したときは44歳。「なりふり構わず好きな野球ができるならばといろんなところで現役を通し続けた。大変な時もあったけど、振り返ってみると、凄く楽しくていい経験。(その選択は)間違いではなかった」と言う。 2人には次なる目標がある。 高津監督は連覇だ。 「今年が1位から始まるわけではない。ゼロから、一から新たなスタートを切る」 日本シリーズでのオリックスとの激闘は野球ファンや関係者から高い評価を受けたが、それは「全力で懸命に戦った」結果であり、今季も「全力」を貫きたいという。 一方の山本昌氏の次なる一歩は、指導者として再びユニホームを着て野球界へ恩返しすることになる。中日では、同級生の与田剛氏が監督となり、殿堂入りでは先輩だが、後輩の立浪和義が今季から新監督になった。 その「監督」への思いを問われた山本昌氏は「声をかけていただければ喜んでお手伝いする。ピッチングコーチでも恩返ししたい」と答え、胸に抱く指導者像を熱く語った。 「野球の試合は確率で動いている。確率が高い方を常に選択できるようにしたい。例えば被安打率を下げる、ストライクの確率を増やす、空振りの確率を増やすということをしていければ、それが勝利につながる。データも含めてそういうものを勉強していきたい」 いつの日か、ヤクルト高津監督と中日山本昌氏の”同期殿堂入り監督”の指揮官対決が見れる日が来るのかもしれない。 最後に。 現在40歳を超えて現役でプレーしている投手として、松坂世代のソフトバンクの和田毅、ヤクルトの石川雅規、オリックスの能見篤史の3人がいる。西武の内海哲也も、4月で40歳だ。いずれも左腕。山本昌氏は石川にこんな話をしたことがあるという。 「自分が思っているほど周りは辞めてくれとは思っていないよ」 高津監督は、ベテラン左腕の気持ちに火をつけてくれた山本昌氏の心遣いに、どこかでニヤっと笑っていたのかもしれない。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)