【鹿児島県知事選】保守派と反原発派、異例の相乗りで三反園訓氏が初当選
平良氏はすでに、奄美群島に赴き、知事選への支援を訴え、後援会用チラシ50万枚も印刷。支援者の思いを考えると、立候補断念は苦渋の決断だった。しかし、立候補表明以来、原発への姿勢を明確にしてこなかった三反園候補に変化を感じたという。「その転機は4月の熊本地震ではないか」と話す。 最大でマグニチュード7.3を記録した熊本地震の震源域近くに川内原発は立地。三反園氏は地震後、鹿児島県に対し、原発の調査・点検と避難計画の見直しを申し入れた。 「地震で道路は寸断され、新幹線も完全に停止した。それらを利用することになっている避難計画がいかにずさんなものなのか、実感できたのでは」と平良氏。 検討委員会には、原発に反対する立場の専門家も入ることで合意しており、「避難計画の課題はもちろん、地震、火山の危険性を示すデータは揃っており、委員会で正当に議論されれば廃炉という結論が出るのは当然と思っている」
鹿児島市中心部のビルの一室では、三反園支援を求める電話作戦が展開された。ボランティアの大半が反原発派の人々だ。長年、反原発運動を続けてきた鹿児島市議の小川みさ子氏(無所属)もその一人。保守系と手を組むという異例の知事選の背景には、「2012年の前回知事選での苦い経験がある」と振り返る。 東京電力福島第一原発の事故後、川内原発の再稼動を争点に、伊藤氏と反原発を訴える新人の一騎打ちとなったが、保守層を固めた現職には及ばなかった。その後、伊藤氏は14年11月、川内原発の再稼動に同意を表明。15年8月、川内原発は、国の新規制基準による原子力規制委員会の安全審査に初めて合格した「第1号」として再稼動した。 小川氏は「反原発運動を展開するだけで原発は止まらないと思い知らされた。知事選を勝ち取らなくては前に進めない」と力を込める。 一方、鹿児島県は保守王国であり、原発が立地する薩摩川内市を中心に原発関連事業に携わる人々も多い。伊藤候補は告示前、川内原発について、「あと30年は動かせる」と発言し、現行制度で最長の60年稼働を容認。三反園陣営でも、その層を意識しており、溝口氏も「(検討委員会などで)原発を幅広く議論するのはいいこと」としながらも、「すぐに廃炉ということはないだろう」と話し、反原発派の思惑とは距離を取る。 ある反原発団体の関係者は「三反園氏は、保守層と反原発派を一手に、両者の言い分を薄く広く無党派層にも支援を広げる、言わば『いいとこ取り』だった。保守層の反対を退け、まずは原発停止を(九電に)求めてくれるのか、注意深く見守りたい」と話す。 (取材・文・撮影/木野千尋)