死刑執行された下士官の姿を探して「これは忠邦さんに間違いない」泣き崩れた94歳~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#72
死刑囚からのお悔やみの手紙
(「成迫忠邦さんの思い出」武田剛) 父の死は成迫家から巣鴨拘置所の忠邦さんに知らされたのか、忠邦さんから丁寧なお悔やみに手紙が届いた。死刑囚からのお悔やみの手紙である。薄い便せんの四枚にびっしりと書かれている。母はそれを読み、せき上げて泣いた。お悔やみの文のあとに、「自分はもう佛のふところに抱かれたような気持ちである。決して心配してくれるな」という悟りのような事を書いているのが何ともやりきれなかった。しかしその手紙の終わりに数首の歌が添えられてあった。その中の一首。 盂蘭盆(うらぼん)のひと夜衣とりかえて 我と踊りしかの少女はも 以来私は盆踊りがつらい。 武田さんは、この手紙を大事にとっていた。金庫の中から出て来た、「死刑囚からのお悔やみ」は、小さな字で丁寧に便箋いっぱい、びっしりと書かれていた。 〈写真:成迫忠邦からのお悔やみの手紙〉 緑に囲まれた静かな村には、悲しみが立ちこめていたー。 (エピソード73に続く) *本エピソードは第72話です。
連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。 筆者:大村由紀子 RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。