防衛局幹部も知らなかった 京都米軍基地受け入れの「約束」はどこへ
弾道ミサイルを探知・追尾するXバンドレーダーを配備した米軍経ケ岬通信所が2014年12月に京都府京丹後市丹後町で稼働を始めて26日で10年になる。基地“受け入れ”の際、中山泰市長は「住民の安全と安心の確保が大前提」と繰り返し表明したが、現実はどうなってきたのか。近畿で唯一の米軍基地の町の10年を検証する。【塩田敏夫】 「そんな約束があったのですか」。防衛省近畿中部防衛局の幹部(当時)は驚きの声を上げた。約束とは何か。米軍経ケ岬通信所が稼働する前に、防衛省が住民説明会で繰り返し明言した「軍人・軍属の集団居住・通勤」の実施のことだ。. 弾道ミサイルを探知・追尾するXバンドレーダーを配備する経ケ岬通信所の設置は2013年2月22日、日米首脳会談で決まった。「Xバンドレーダーって何?攻撃目標になる危険性は」「軍人が何人くらいきてどんな基地になるの?」――。突然の決定に市民からは不安の声が次々と上がった。防衛省は繰り返し住民説明会を開き、数々の「約束」をした。その一つが交通事故防止の観点からの「軍人・軍属の集団居住・通勤」だった。 防衛省は住民説明会で、基地の人員は最大で軍人20人、軍属140人で、軍人は基地内に新たに建設する隊舎に、軍属は14年度中に集団居住地に移転すると説明した。それまではホテル住まいになるとしたが、集団居住地はなかなか決まらず、時間が過ぎていった。 そして、住民が心配した通り、基地発足とともに周辺では米軍関係者の交通事故が多発した。米国では車は右側、日本では左側通行と、交通ルールに大きな違いがあり、特に雪が多い丹後地方では慣れない凍結した道路の走行は危険だった。 突然、集団居住・通勤の約束が守られていなかったことが判明する。15年3月5日の米軍経ケ岬通信所安全安心対策連絡会議(安安連)で、約30人の軍属が個人で契約し民間の賃貸住宅で暮らしていることがわかった。防衛省が事実関係を明らかにしたのだ。 これに対し、府を代表して参加した府丹後広域振興局の土家篤局長(当時)は「住民に約束したことは守ってほしい」と抗議し、「住民に約束されたことは履行されているかどうかしっかりと確認しなけばならない。30人という数字は多すぎる。特例が積み重なると、通例になってしまう」と述べた。 京丹後市の大村隆副市長(当時)は「ホテルを出たのは一時的なものか」とただし、防衛省は「集団住宅ができたら移っていただけるものと理解している」と答えた。 その後、集団居住・通勤はどうなったのか。軍人は基地内に完成した隊舎に、警備関係の軍属は京丹後市網野町の集団居住地にそれぞれ移転したが、土家局長が危惧した通りの結果になった。レーダーを運用する軍属の集団居住地はいまだに決まっていない。個人で民間アパートなどに住んでいるとみられるが、実態は不明だ。 24年7月31日の第39回安安連では、久しぶりに米軍人・軍属の集団居住・通勤問題がテーマになった。中西和義副市長がレーダー関係の軍属の居住実態をただし、「安全・安心の確保」の観点から速やかな集団居住・通勤の実施を求めた。これに対し、防衛省は居住の実態について具体的に答えず、事故軽減リスク軽減の観点から集団通勤を引き続き働きかけるとの考えを示すにとどまった。 Xバンドレーダー基地を担当する防衛省近畿中部防衛局の担当者は1、2年で次々と異動となり、基地発足時の「約束」の存在さえ知らない幹部も出ている。市が集団居住・通勤問題を久しぶりに取り上げたのも6月市議会で「10年前の約束はどうなったのか」と追及され、報道があったからだろう。 既成事実が積み上げられていくが、約束は守られないと、信用を失う。安全保障は国民の信頼の上で成り立つものだ。