吉本新喜劇・間寛平GM 坂田利夫さんとの最期の様子を明かす「大きな声で『ア~メマ~』と言うた」
吉本新喜劇・間寛平GM 坂田利夫さんとの最期の様子を明かす「大きな声で『ア~メマ~』と言うた」
吉本新喜劇のゼネラルマネジャー(GM)を務める間寛平が10日午前、大阪市内の吉本興業で月例会見を行い、65周年を迎える吉本新喜劇の今年の意気込みなどを語った。また、昨年12月29日に亡くなった坂田利夫さんとの最期の様子についても明かした。 【拡大写真】昨年12月29日に亡くなった坂田利夫さん
坂田さんは昨年12月29日に老衰のため82歳で亡くなった
坂田さんは昨年12月29日に老衰のため亡くなった。82歳だった。 最期は親族と間寛平夫妻に見守られながら息を引き取ったという。
昨年12月20日、坂田さんを訪ねると病院に運ばれたと聞いた
寛平は昨年12月20日、クリスマスに合わせ坂田さんが滞在していた施設へケーキを持っていくと、坂田さんは熱が出て病院に運ばれたと聞いたという。
「兄さん」「がんばれー」と声をかけ続けた
病院に駆けつけようと思ったが「(坂田さんの)妹さんに電話を入れたら面会もでけへんということで、すごく心配していた」と振り返った。
しかし、26日午前10時ごろに妹さんから連絡をもらい病院へ駆けつけ、夕方に看護師から「声をかけてやってください」と言われ、「兄さん」「がんばれー」と声をかけ続けたという。
大きな声で「ア~メマ~」と言うた
その時の様子を寛平は「言葉ってかける言葉が少ないやん。一生懸命声をかけて、大きな声で『ア~メマ~』と言うたら生き返りましたね。やばいって言うてんねんけど、(同月)29日まで。本当にがんばれー、がんばれーと言うてました」と最後の様子を振り返った。
坂田さんからの教え
報道陣からは坂田さんとの思い出を聞かれ「54年ずっと付きおうてきまして、僕は大師匠と言うてましたが、僕に言うことは『寛平、ボケはほんまにみんなに好かれなあかんし、かわいいボケでいとかなあかんでということは、いつも言うてました。僕にはそういう教えでした。なかなかあの感じはできないですね」と話していた。
そして「みんな今は大学を卒業して漫才やったり頭がいいんですよ。うまいこと作っていくよね。坂田兄さんは作るということをしない。地のままやから」とも話していた。
「ジミー大西にも負けないボケ、すごいなあと」
また「僕が吉本興業に入った時、坂田兄さんがボケをずっとやっていたから。そこにジミー大西が入ってきた時点で、僕は負けや思いましたもん。けど(坂田さんは)そのジミーにも負けへんボケをしていくから、すごいなあと思ってましたね」と語っていた。