半世紀前のキャンプ報告書が伝える「生き生きとした子どもらしい生活」を取り戻す大切さ
「福岡子ども劇場」が復刻版
不安はある。けど、やってみる。だって仲間がいるし、何だか楽しそうだから。大人たちは子どもたちにそんな環境を準備できているだろうか-。そう問いかける冊子が1月に発行された。「福岡子ども劇場」が半世紀前に作ったキャンプ報告集の復刻版で、活動を支えた福岡市の渕上継雄さん(89)が手がけた。ページを開くと、現代を生きる私たちへのメッセージがちりばめられていた。 そのキャンプは1971年の夏、福岡県篠栗町の高原で実施された。2泊3日で小中学生約400人が参加。大部分は小学4~6年だった。保護者は加わらず、計100人ほどの学生、社会人らの青年が指導員として同行した。 報告集には、日常では味わえない小学生の心境や気付きが刻まれている。 出発の朝。「生まれて初めてのキャンプなのでうまくできるだろうかと、とつぜんこわくなった」 目的地へ。「今まで持ったこともない重い荷物をしょって坂道ばかりあるくのは大変でした。雨まで降ってきた」 自由時間。「一番楽しかったのはキャンプファイア、私たちの班だけでのカニ取り、肝試し、プール」 夕食作り。「みそ汁はあまりよくできなかったけど、家のよりおいしいなあと思いました」 夜。「楽しかったので、あまりねられませんでした」「まくらがないので、いたくてしかたがありませんでした。がまんしながらいつの間にかねむってしまった」 登山。「(作って持って行った)昼食のおにぎりは、つぶれていました」「下りる時に雨が降ってきて大変だった。下着までびしょぬれ」 帰路。「お母さんが迎えに来たとき、うれしくてなみだがこぼれそうでした」 子ども劇場は66年に福岡市で誕生。全国に拡大し、各地に根付いた。生の舞台鑑賞と、子どもたちの自主活動が2本柱で、自主活動の代表がキャンプだった。報告集に残したキャンプは4回目。3回目までは冊子を作る余力がなく、4回目になって初めて、活動内容や意義、成果をまとめた。 復刻版の発行に協力した福岡市の栗原雄二さん(75)は、当時22歳で指導員として携わり、深く自身を省みた出来事があった。 キャンプ中、夕暮れが迫っても、子どもたちは火を起こせず食事の準備が進まない。そこで栗原さんは子どもたちを押しのけて、ご飯を炊いてしまった。すぐに反省し、キャンプ後も「どうすれば良かったのか」と考え続けた。 他の指導員の話を聞き、児童文学や絵本も読んだ上で「自力でご飯を炊く喜びと達成感を奪ってしまった」と結論付けた。その後のキャンプでは余計な口出しや手出しは控え、見守り、待つ姿勢に徹したという。 小学生は活動の「主体」に位置付けられ、「どういうキャンプにしたいか」という企画段階から加わった。指導員1~2人、小学生8~10人前後で一つの班となり、4回の話し合いが行われた。それに全て出席することがキャンプの参加条件でもあった。 子どもの尊重、自然の中での遊び、充実したサポート体制。そして、子どもを預けた保護者と青年との信頼関係。学ぶべき点が多い取り組みである一方、渕上さんは「今、こうしたキャンプを行う社会的条件や人間関係はほとんど失われてしまったのではないか」と危惧する。 福岡子ども劇場の発起人の1人であり、福岡市児童相談所所長や西南学院大教授を歴任した渕上さん。キャンプの実行委員長として、その目的を報告集にこう書き残している。 「子どもたちを自然の中に解放し、毎日の受け身の生活で失われつつある、『生き生きとした子どもらしい生活』を取り戻し、集団の中で、喜びや苦労を共にしながら、自分たちの手で生活をつくり、自然や人間の生活についての理解を深め、自主的で、たくましく生きる子どもを育てる」 それから半世紀。こうした活動を子どもに提供する意義は、さらに増しているのではないだろうか。 ■復刻版「第4回子どもキャンプ」 1971年のキャンプ報告集は翌72年に発行された。子どもたちの感想文、保護者へのアンケート結果、指導員のリポートを約60ページにまとめている。直前に台風が襲来して開催地や日程の変更を余儀なくされたことなど、運営の苦労話も。復刻版では、再発行に込めた渕上さんの思いや指導員だった栗原さんのエピソードなど6ページを追加した。発行数は600冊。希望者には1冊無償で贈呈する。問い合わせは栗原さん=090(2780)5950、メール=kurisan9@gmail.com