【母子4人殺害放火事件から20年】10か所以上刺された母 鈍器で強打された子どもたち 二男の誕生日に起きた凄惨な事件 犯人捕まらず、残された人たちの戦いは続く 「逃げ得はない、どうか自首して」 愛知・豊明市
愛知県豊明市で母と子どもの4人が殺害され、住宅が放火された事件は未解決のまま、2024年9月9日で20年を迎えました。中学生たちに悲劇を伝える犠牲となった子どもの恩師。犯人逮捕を信じて情報提供を呼びかけ続ける遺族。残された人たちの戦いは、今も続いています。
犯人は殺害後に放火して逃走 母と3人の子どもが犠牲に…
2004年9月9日、豊明市沓掛町の閑静な住宅街の一角で、何者かに母と子どもあわせて4人が殺害され、自宅が放火される事件が発生しました。 被害者は、母親の加藤利代さんと、当時15歳の長男・佑基さん、13歳の長女・里奈さん、そして、この日が誕生日で9歳になった二男・正悟さんです。
犯行は日が昇る前の午前4時頃。犯人は1階から侵入し、リビングで寝ていた正悟さんをバールのような鈍器で強打し殺害。2階で寝ていた利代さんを刃物で10か所以上刺し、隣の部屋で寝ていた里奈さんにも同じような凶器で襲いかかったとみられています。そして、佑基さんを正悟さん同様に鈍器で殺害した後、大量の灯油をまいて火を放ち逃走しました。 凄惨な事件を起こした犯人は、まだ捕まっていません。
「伝えることが使命」 事件を語り継ぐ長男の恩師
「20年前のきょう、私にとってとてもつらい出来事がありました」 放送室のマイクの前に座り、こう語るのは、豊明市立沓掛中学校の小川実校長。命日の前後に、20年前の事件について全校生徒に伝える取り組みを、校長として赴任した2年前から行っています。 当時の教頭から「沓掛町に住む加藤さんの家が火事になって全焼したらしい。そして家族が亡くなったらしい」と連絡を受けた、あの日から20年。なぜ今、事件のことを生徒たちに語るのでしょうか…。
校長室の机にあったのは、陸上トラックを懸命に走る佑基さんの写真。事件で亡くなる前、佑基さんは陸上部のキャプテンを務めていたのですが、当時の陸上部の顧問が小川校長だったのです。事件後は、この写真を大切に持ち歩いていたといいます。
朝一番に来て、グラウンド整備や準備を常に先頭切ってやるような、後輩にも慕われるキャプテンだったという佑基さん。亡くなる年の初めに書いた1年の目標には、キャプテンとしての熱い思いがしたためられていました。 <佑基さんが書いた1年の目標> 『キャプテンになって、あんまりみんなにいい指示ができてなかったような気がする。早くしっかりした指示ができるようになって、みんなを引っ張っていきたい』 事件前日、佑基さんは「高校で野球部に入りたい」と進路について話していたといいます。小川校長は「その高校が希望ならもう少し学力つけないとね」と会話を交わし、「さようなら」と笑顔で別れたのが最後となってしまいました。