パリ五輪まであと5カ月―「グローバル化」で復活を期す日本の団体球技
グローバル化で選手は次々と海外挑戦
だが、90年代には国内外で大きな変化があった。日本ではバブル崩壊で企業チームの休廃部が相次いだ。選手たちの競技環境は不安定になり、各競技で日本代表の低迷が目立つようになった。 海外に目を向ければ、欧州統合に伴って、欧州連合(EU)内選手の移籍が自由になり、各国クラブの「多国籍化」が進んで競技レベルが一気に上がった。また、有料衛星放送の普及による放映権料の高騰で、スポーツのビジネス規模が拡大。欧州と同様、米国のプロスポーツも各国の選手を受け入れ、グローバル化を志向するようになった。 日本でJリーグが発足したのは93年のことだ。その5年後のフランス・ワールドカップ(W杯)に日本代表は初出場を果たしたが、当時、代表選手は全員Jリーガーだった。しかし、大会が終わるとMF中田英寿がイタリア・セリエAのペルージャに移籍し、海外移籍への扉を開けた。 21世紀に入ると、多くの選手たちがJリーグを経て活躍の場を海外に移し、日本代表もW杯に7大会連続で出場を果たせるほどに実力をつけた。2022年カタールW杯では、日本代表の26人中、Jリーグ所属は7人だけだった。 日本の他の球技は、バブル後の国内リーグ低迷に加え、グローバル化の流れにも後れを取っていた。しかし、最近は地域密着型のクラブが増え、バスケットのBリーグ発足のように競技基盤が再建されつつある。国内で力をつけた選手が海外に移籍する例も目立ってきた。 バスケットではNBAプレーヤーが誕生し、渡邊雄太(グリズリーズ)が今回の五輪出場の原動力になった。八村塁(レーカーズ)も五輪本番に加われば、さらなる戦力アップに貢献するだろう。バレーでは石川祐希や髙橋藍が世界最高峰であるイタリア・セリエAのクラブに所属。ハンドもカタールやフランス、ポーランドなどのリーグでプレーする日本選手が五輪予選を勝ち抜いた。 バレー男子日本代表の主将として、またセリエAのミラノでも中心選手としてチームを引っ張る石川は「実力面で日本代表とクラブを比較すると、セリエAの選手は各国代表のレギュラーばかりで、個々のレベル感は日本代表より高いと思います」(毎日新聞、23年11月14日付朝刊)と述べている。初めてイタリアに渡ってから9年余り。世界的な環境で切磋琢磨しながら、腕を磨いているのだ。