貧しさと戦う少年は大金を稼ぐ世界チャンピオンを夢見た――井上尚弥戦の36年前、「東京ドームで初めて勝ったボクサー」吉野弘幸の壮絶人生
■唯一無二のボクシング以上に大切な存在 経営するジムはフィットネスがメインで、将来的にプロ選手を育てたい気持ちもなくはないが、やはり「選手を育てるよりも、自分自身が何かに挑戦したい」という気持ちのほうが強いそうだ。そうしたさまざまな思いを巡らせながら、吉野は現役復帰に見切りをつけてからの人生を歩んできた。 吉野は「ボクシングは自分が生きた証(あかし)。自分そのもの」と話す。しかし唯一、ボクシングと同じ、いやそれ以上に大切にしている存在があった。 「ジム経営はずっと自転車操業でなんの贅沢もできない(笑)。奥さんが本当に頑張ってくれているから、なんとか続けられている。ホントに感謝。奥さんがいなかったら営業できてないもん。いま一番、大切にしているのは奥さんの存在だね」 ジムのマネージャーとして切り盛りする妻、知子とは23歳のとき、友人の紹介で知り合った。初デートは後楽園ホールでボクシング観戦。スイミングのインストラクターだった彼女はさばけた性格で化粧っ気もない。そんな飾らない様子に初対面で惹かれた。2度目のデートで映画を観たあと、「俺はこの人を愛すると決めたら一生尽くすと決めている」と素直な気持ちをそのまま伝えた。 1993年6月23日、吉野はWBA世界スーパーライト級王者ファン・マルチン・コッジ(アルゼンチン)に挑み、敗れた。この日から2人は一緒に暮らし始めた。 知子は、コッジの左アッパーで胸骨を折られるなど負傷した吉野を献身的に看病し、精神的にも支えた。当時抱いた感謝の気持ちは忘れていない。出会いから30年以上過ぎ、56歳になったいまも、吉野は妻に対して何ひとつ変わらない気持ちで向き合っていた。 「でも彼女は恥ずかしがり屋だから、そういう話を書かれることはきっと嫌がる」と、吉野は右手で前髪をかきあげながらはにかみ、笑った。 最後に、36年前、ボクサーとして初めて東京ドームのリングに上がり勝利した吉野に、まもなく同会場で日本人初のメインイベンターとして戦う井上尚弥について聞いた。 「もちろん井上尚弥のKO勝利を期待している。ネリも本当強いと思うし、ダーティーな一面もある。『食ってやろう』という気持ちでいるだろうから怖さもある。でもすっきり、完璧にネリが『参りました』と言うような試合を見せてほしいよね」 取材の最後、稀代の左フックで数々の名勝負を生み出した左拳を撮影した。ファインダーを覗きながらシャッターを切り続けるうち、筆者の心の中で後楽園ホールの観客席を埋め尽くした熱狂的ファンの「吉野コール」がこだました。 ●吉野弘幸(よしの・ひろゆき) 1967年8月13日生まれ、東京都葛飾区出身。1985年プロデビュー。88年3月に獲得した日本ウェルター級王座は14度連続防衛(同階級では現在でも歴代最多記録)。同王座返上後、93年6月に世界初挑戦するも王座獲得はならず。その後、東洋太平洋ウェルター級、日本スーパーウェルター級のベルトを腰に巻いた。プロ戦績51戦36勝(26KO)14敗1分。97年9月には大阪ドームで開催されたK-1に参戦し、1回KO勝利を収めた。現在、地元葛飾でH's STYLE BOXING GYMを経営。 取材・文・撮影/会津泰成