「自分の人生を歩んでいない…」一度はあきらめた家業の道 和紙の技術で自動車部品、業界シェアトップ企業の「三男」の苦悩
◆若干20歳で会社の「後継者」に指名されたが
――関根堅司前社長の三男として生まれ、後継者になるまでの経緯を教えてください。 私が子どもの頃から、祖父は「次はお前に任せる」と言っていたようです。 当時、活発だった私を見て、大きな期待をしてくれていたみたいです。 潜在意識の中で、「自分が後を継ぐのかな」と漠然と感じて育ちました。 2人の兄も「自分たちが継ぐ」という意思は幼少期からあまりなく、今は別の道へと進んでいます。 明確に「跡継ぎ」というものを意識したのは、大学の商学部で学んでいた20歳のときでした。 祖父が亡くなり、その葬儀の際に父から「将来的には、お前が継いでくれないか」と告げられたのです。 祖父は人のために生きていたような人で、葬儀には1000人以上が参列し、「この人は本当に凄い人だった」と口々に言ってくれました。 そのときに「私もいつかこんな人になりたい」と、後継者になることを引き受けたのです。 ――大学を卒業し、どのような進路を選んだのですか? 2011年に大学を卒業し、大手自動車部品メーカーに入社しました。 やはり自動車業界の大会社でノウハウを学び、自分の会社に持ち帰ろうという気持ちでした。 1年目は現場研修、2年目からは生産管理の仕事を任されたのですが、次第に「このままでいいのか」と悩むようになりました。 「会社を継ぐ」という責任感だけで自分のキャリアを選んだ結果、「自分の人生を歩んでいないんじゃないか」と、心が苦しくなってしまったのです。 ――どのようにして、苦しい時期を乗り越えたのでしょうか。 実はメーカーで働き始めて1年で、父には1度相談をしていました。 泣きながら「このままの気持ちでは会社を継げない」と伝えると、父は「お前の人生なんだから、好きに決めていい」と言ってくれました。 そして、2015年に自動車部品メーカーを退職し、2016年に採用支援会社に転職しました。 そこで、会社を継ぐのは一度諦めたんです。