京都花街の舞妓は、かつて28人まで激減した…京都の観光ビジネス成功の背景に「花街のすごい人材教育」
■本社を大阪に残そうとする経営者が増えている このように、京都から本社を移さないことを強みにしているのが、京都企業の独自性といえます。 一方で、大阪企業は、これまで大阪から東京に本社を移すことが多くあり、それが京都企業と大阪企業の違いだといわれたこともありました。 もっとも、最近はなにがなんでも本社を東京に移すという空気もなくなっているように感じます。私がお会いしている大阪の経営者たちは、東京でも仕事が増えているようですが、本社は大阪に残そうとする人が増えています。これは京都企業の動きを見て、考え方を変える人が増えたからではないかと思っています。 関西は空港や鉄道も発達していますし、オンラインで世界中とコミュニケーションもしやすくなっています。関西に本社がある強みを活かすことで、京都や大阪に本社を置く企業が増えていくことを期待します。 ■日本の経営学、神戸で生まれる 実は、日本の経営学発祥の地は神戸です。実際、神戸大学のキャンパスには「わが國の經營學ここに生まれる」の石碑があります。 平井泰太郎(ひらいやすたろう)氏が大正15(1926)年に神戸高商で経営学を開講し、これが日本で最初の経営学系の科目になったからといわれています。この講義は「経営学とは何か」にはじまり、今でいうところの企業形態論や経営管理論などにも触れる、総論的な内容だったようです。 なお、日本で最初に学術語として経営学という言葉を使ったのは、東京高商の上田貞治郎(うえださだじろう)氏です。もっとも、上田氏は、経営学の中味について考えていましたが、その方法論や教育には課題を残しており、本格的な経営学の教育カリキュラムまでには至っていなかったとの指摘が経営学者からあります。 神戸における経営学のスタートは、経営学の1科目でしたが、昭和4(1929)年の大学昇格時には経営学総論、経営業務論、経営労務論、経営財務論の四つに拡充され、現在の経営学部の一般的な講座運営に近いような体制が築かれます。 その頃経営学はまだ草創期であり、授業は手探りであったようですが、外国の研究成果を紹介するだけでなく、学生たちも参加して日本企業の経営実態のフィールドリサーチも行っていたようです。理論だけでなく実証を行っているあたり、さすが実践を重んじる関西の大学です。 神戸で経営学科が創設されたのは、神戸経済大学に改称された昭和19(1944)年のことでした。日本初の経営学科となり、経営学士を授与できる教育機関となったのです。そして、経営学部の誕生は、戦後、神戸経済大学が国立大学再編の基本方針のもと、新制神戸大学へ生まれ変わった昭和24(1949)年。 全国初の経営学部として発足し、経営学3講座・会計学4講座からなる経営学科と、商学5講座からなる商学科の二つの学科でスタートしました。