京都花街の舞妓は、かつて28人まで激減した…京都の観光ビジネス成功の背景に「花街のすごい人材教育」
京都の企業は強いと言われるが、そこにはどんな背景があるのか。日本総合研究所調査部長でチーフエコノミストの石川智久さんは「京都のビジネスの基本は花街にある。一つが人材採用で、かつて舞妓さんが28人まで減ったため日本中から人材を集めるようになった。もう一つが人材教育で、各花街には舞妓さんを育成する学校があり、現役である限りこの学校に通う」という――。 【この記事の画像を見る】 ※本稿は、石川智久『大阪 人づくりの逆襲』(青春出版社)の一部を再編集したものです。 ■京都のビジネスの基本は花街にある 京都の経済人などにお会いすると、「京都のビジネスの基本は花街にある」といった言葉をよく耳にします。西尾久美子さんの『京都花街の経営学』『舞妓の言葉』(いずれも東洋経済新報社)では以下のように指摘しています。 一つは全国から人材を集めることです。戦後、芸舞妓の数は減少の一途を辿り、1975年には京都花街でも舞妓さんはわずか28人にまで減るという危機的な状況にありました。 危機感を抱いた京都花街では、京都出身者や芸事の経験者に限定していた過去の伝統を破り、全国から志望者を積極的に受け入れる方向へ大胆に方針を切り替えました。おかげで、東京、大阪と違って、芸舞妓さんの減少をくい止めることに成功しています。 二つ目は人材教育です。各花街には舞妓さんを育成する学校があり、現役である限りこの学校に通うというシステムがあります。日本舞踊などの試験に合格しないとお客さんの前には出ることができません。 そしてこの学校の運営費には、都をどりなど、各町での踊りの会の収益が充てられるようにしています。つまり教育に対してお金が削減されないような仕組みができているのです。だからこそ一定のクオリティーが確保されています。
■口紅の塗り方が初心者マークになる またお客様から見てキャリアがわかりやすいということがあります。 例えば一年目の新人の舞妓さんは下唇しか口紅を塗りません。一種の初心者マークになります。衣装や化粧でキャリアがわかるというわけです。 三つ目は「一見さんお断り」です。高付加価値のサービス業なので、いちど評判を落とすと次からお取引をいただけません。お客様の好みがわからないために評判を落とすよりも、ちゃんとわかっているお客さんでしっかりやったほうがいいというのが一見さんお断りという慣行です。 四つ目が競争と協業です。京都ではお客様の要望があれば、他の花街からも芸妓さんや舞妓さんを呼ぶことができます。つまり一つひとつのお店は競争もしていますが、協力するところでは協力するというのがビジネスモデルになっています。 実は、京都の観光ビジネスがうまくいっている理由としては、集積によって競争と協業が行われているからだとする意見があります。 有賀健さんの『京都 未完の産業都市のゆくえ』という本によると、京都の和食がこれほど流行した理由として、有名なレストランが洛中内に集中していることで、お客さんが来やすくなっていることと、技術の共有化が図られること、また腕の良い料理人が業界で話題になって切磋琢磨(せっさたくま)し合うことなどが挙げられています。 ■稲盛和夫の京セラが作られた背景 経済の世界で話題になっている話に、「なぜ京都企業はグローバル化したのか」という議題があります。それには様々な理由が考えられます。 一つは伝統を大事にしつつ、そこに新しい様式をどんどん加えること。例えば西陣織は京都の偉大な産業ですが、明治時代にジャガード織機が輸入され、それを導入したことから、西陣織は発展していきます。 また京焼が明治維新後、産業用陶器の生産を始め、それが新産業を生み出しています。伝統の普及に伴い、陶器製碍子メーカーとして大企業に成長したのが松風工業です。そして松風工業に当初勤務しながら、仲間を募って独立し、新たな会社を作ったのが、稲盛和夫(いなもりかずお)氏の京セラになります。 もう一つが逆転の発想です。京都は市場規模が小さく、京都市内だけではあまり大きくなりません。また東京や大阪にはかなり強力な競争相手がいます。 そうした中、自分たちの強みを磨き上げ、それで世界に打って出るという戦略をとっています。グローバルナンバーワンになるためには、かなり分野を絞り、強みがあるものに特化する必要があります。 そのため、京都の企業は部品メーカーが多い傾向があります。 最後に京都企業の最大の特徴を挙げます。グローバル展開しているため、本社を東京に移す必要がないということです。京都の方は京都を非常に愛していて、本社を東京に移したくない、という思いもあるでしょう。