容疑者や被害者の「卒業アルバム」報道 その背景と課題
これら広い意味での「捜査側からの提供」のほかに、「事件関係者からの写真提供」があります。その典型例が「卒アル」の利用。ほとんどの場合、記者に成りたての若い事件記者がその役を負わされます。しかも、貸してくれそうな“理解者”はそう多くありませんから、現場では早い者勝ちになります。 駈け出し時代の経験が“トラウマ”になっているという記者たちの話。 「卒アルくらいゲットできないと記者じゃない、と言われて。同窓生を見つけたのですが、ちょうどその同窓生は披露宴に出席中。そしたら『会場に行け』とキャップに言われ、会場では『こんな席に押しかけてきて、お前はなんだ!』と罵倒されました」(有力地方紙記者) 「被害者のかつての友人宅へ行って貸してもらったのですが、卒業から10年くらい過ぎている。そんな写真使っていいのかと社内で疑問を呈したら、『じゃあ、もっと最近の写真を取ってこい』の一点張り。大事件だと各社は殺気立っているし、議論になりません」(民放記者) 元北海道新聞記者の高田昌幸氏も著書「真実 新聞が警察に跪いた日」の中で、顔写真を入手できなかった同僚記者が椅子ごと蹴っ飛ばされた話を紹介しています。 卒アルの写真は容疑者や被害者が比較的若い場合しか使えないため、事件当事者が40代以上の場合、マスコミは町内会の集まりや社内旅行などの写真も探して歩きます。最近は、事件が起きると、TwitterやFacebookで写真や書き込みを探すのが「記者の初動の基本」になっています。
顔写真報道の必要性について、マスコミ各社では古くから、「被害者を匿名で報じたり、人間味のある話を落としたりしたら、紙面上では“記号”でしかなくなってしまう。その人の生きた証し、事件の理不尽さを社会に知らしめるためにも写真は要る」「きれい事じゃない。どんな人か、みんな“顔”を見てみたいんだ」「写真入手の取材過程で被害者や被疑者に関する新たな情報が入手できる。写真入手は目的ではなく、事実に近づくための手段だ」といった説明がされてきました。 しかし、こうした説明に仮に理解を示したとしても、取材現場の実態は“争奪戦”です。 新聞社は(表向き)戒めていますが、テレビ局や雑誌記者の間では、写真提供に対する謝礼の支払いも(全部ではないとは言え)現実に行われてきました。最近は「買ってもらえないか」といった売り込みもマスコミ関係者に届くうえ、その際、他社が示した金額を口に出し、“価格交渉”を求めるケースも出ているようです。さらに、首尾よく入手した場合は、他社に報道させないよう、しばらく返さないケースも。マスコミ関係者の間では、又貸しや転売もある、と言われています。被害者の家族が「この写真を使ってください」と写真を提供する場合もありますが、そんなに多くはありません。