樋口真嗣監督の“ゲンバメシ”15|沈黙の11ヶ月
11ヶ月の沈黙を破る時……樋口監督が語ることとは?「シン・ウルトラマン」、「シン・ゴジラ」など数々の日本映画を監督してきた樋口真嗣さんの、仕事現場で出会った“ゲンバメシ”の思い出を回想します。
■大先輩と鮨 ご無沙汰しております。 この空白の11ヶ月の間、撮影にどっぷり浸かってそれこそリアル現場メシの日々でございました。 来年春にNetflixで配信が始まる予定の映画「新幹線大爆破」をずーっと撮影していました。 1975年に東映で製作された同名タイトルの映画を基に現代を舞台に置き換えて映画にしました。 その内容は強烈なタイトルから類推していただくしかないんですが、まあ額面通りに受け止めていただいた通りのズバリまさしくそういう内容で、という事は新幹線が走る路線上を舞台にした話になるわけですから、今までの撮影所というインフラ周辺の食事情に終始することなく、何かしらの現場メシのバリエーションがこの連載で紹介できるのではないかと目論んでいたわけですよ姑息にも。 ところがその先々の味自慢を紹介しちゃうとどの路線が舞台になるのかバレてしまうからまだ書けないわけですよ。 だからもうちょっと、待ってほしいなと。 代わりに新たにお届けするのは、「他のスタジオ現場メシ」です。 私の場合は世田谷にある東宝スタジオ周辺に点在する東宝ビルト、国際放映スタジオ、(撮影所じゃないけど)円谷プロ、デンフィルムエフェクトといった会社に出入りしては前回まで紹介したお店で腹を満たしておりました。 いや、待て。一件紹介し忘れた大事なお店があったぞ。 我々下っ端が映画のプロフェッショナルとして大人の階段を登る時、最初にその実感に打ち震えた店。それが「鮨源」、その名の通りお寿司屋さんでした。 それまでのカレー、中華、洋食といった普段使いのご馳走と一線を画する高級感を纏った食事、それは寿司! 撮影所の各部署の食券に対応していたので、時々出前でちらし寿司とかが出てきてましたが、やはりその醍醐味はお店に行ってカウンターでお好みをオーダーでしょう。 入りたてのぺエペエの頃にそんな食生活を選んだら100億万年早えんだよ!と怖い先輩たちに袋叩き必至ですが、数年仕事を続けてると、だんだんその位の横暴は許してもらえるだろうと自分の仕事に自信がついてきます。その上そういう事情を察してか知らずか、外から見ても中に誰がいるかわからない見通しの悪い構造になっているので、早めに行ってカウンターを陣取ればそれまでのカロリー摂取だけでないワンランク上の豊かな食生活の始まりです。遅れて暖簾をくぐって入ってきた撮影所の偉い人たちはもう座る席はありません。偉くなったもんだな若造が!という呪詛の視線を痛いほど感じながらも欲しけりゃ自分で分捕りな!とまあおそれを知らないクソガキの一丁上がりです。 スーパーでパックに入ってるやつでもベルトコンベアで皿に乗せられてぐるぐる回ってるやつでもない、目の前で大将が俺のために握ってくれる寿司! これこそ寿司オブ寿司!うめえ! もちろん1人でそんな横暴ができるわけもなく、寄らば大樹の陰、虎の威を借る狐、そんな道筋をつけてくれた先輩と一緒にその頃いろんな仕事場を連れ回してもらってまして、その流れで「鮨源」の暖簾をくぐり大先輩の威光を傘にきて御相伴に預からせていただいてた次第です。 その大先輩が前出のデンフィルムエフェクトで視覚効果技師をやっていた中野稔さんでした。 円谷プロの「ウルトラQ」、「ウルトラマン」を手始めに数多のテレビ、劇場用映画、コマーシャルで複雑な素材を駆使した合成カットを手掛けていました。その頃は今でこそ当たり前に使われるデジタル技術が登場する前で、全ての工程をフィルムで撮影し現像する技術をベースにしていました。フィルムがいかに面倒かというのは、未だかろうじて残っているレンズ付きフィルム「写ルンです」を使った人ならお分かりと思いますが撮影した内容は一度現像という化学的工程を経ないと見ることすらできないのです。しかも一度しか使用ができないマテリアルなのでトライアンドエラーを繰り返して納得のいくものを作るしかないのです。 今そう説明しているだけでゲンナリしてよくそういう仕事をやっていたなと我ながら思うのですが、その工程を経て生み出された映像の素晴らしさには敵わないのです。 正義のヒーローが両手を交差させて敵怪獣めがけて一直線に放たれる眩い光の奔流や、本来ミニチュアなどで再現しないと絵にできない実物を撮影してきた風景に、異形の怪物がまるでそこにいるかのような存在感で佇んでいたり、異物のいる「特撮」の世界と俳優がいる「本編」の世界を違和感なく画面の中を自在に往還する――それは、合成、視覚効果と呼ばれる専門家集団の技術と発想と経験によって気の遠くなるような工程を経て可能になっていたのです。 私が生まれた頃からずっとその道を極めていた大先輩がなぜか私のような若造に目をかけてくださり、中野さんのいく現場について行ってはどうやって素材撮影を交渉して実現するのか、あるいは完成した合成カットのオッケーをスムーズにもらう秘訣を教えてもらい、その流れで「鮨源」で握り寿司そして決まって瓶ビールでした。 毎度くぐる暖簾の贈り主もデンフィルムエフェクトと染め抜かれていて、江戸前の粋とはこういうものかと教えられました。追い越せねえ。打ちのめされながらもそもそも勝てると思ってなかったからなのか、その人間としての迫力に翻弄され、流されていました。 子供の頃からすごいイメージを作り続けていた中野さんから直接に教えてもらえる日々と鮨は、かけがえのない宝物でした。しかし、時代の流れはいつまでも同じことを許してはくれなかったのです。 文・イラスト 樋口真嗣
樋口 真嗣