進む「農福連携」、農業の雇用創出と障がい者の自立を両立させるアプローチとは
大規模な農業を目指す意味
「当初から農業を組織化して、規模を大きくしたいという父の思いがありました」 白鳩会の中村隆一郎理事長(53)はこう語る。父とは、創設者である中村隆重前理事長のこと。隆重さんは1972年に白鳩会を設立すると、翌年には障がい者福祉施設「おおすみの園」を開設。10ヘクタールほどの農地を取得し、ミカン畑をつくるなどして、障がい者が自然と触れ合う機会をつくった。白鳩会ではさらに、組織的に農業に取り組もうと考えていた。
「多くの障がい者を受け入れ、長く働けるようにするには、大きな事業にすることが大切だと考え、78年に根占生産組合をつくって農業を事業化しました」 地域内の耕作放棄地などを次々と取得、整備していった。現在、白鳩会グループ全体で売上高は約3億円になる。一次産業だけでなく花の木農場内には食品加工場や、カフェ、レストランがある。鹿児島市内にホットドック屋を運営するなど、六次産業化の仕組みも構築する。 外堀光希さん(25)は、特別支援学校を卒業後、花の木農場にやってきた。一通りの農作業を経験し、約3年前から農場内のカフェで働いている。 「昼間は毎日混んでいて、地元の人もよく来ます。カレーが人気で、おいしいとよく褒めてくれます。自分たちで育てたものをお客さんが目の前で食べてくれるのが嬉しいですね」
外堀さんは将来、自立する夢を持っている。1年前にはグループホーム(共同生活を営む住居)にも移動した。 「一般就労したいという思いはあります。一人暮らしにもチャレンジしたい。料理は好きで、家に帰ってもやります。飲食店で働きたいです」
農場にはあらゆる仕事がある
障がい者が生き生きと働けるよう、花の木農場が工夫しているのは、あらゆる仕事を用意することだと、中村理事長は明かす。 「我々に特別な支援のノウハウはなく、あったのは広大な農地だけ。でも、この農場は単純労働や手先を使う細かな作業、一人でできる作業など、仕事のバリエーションも豊富。そういった農場のポテンシャルが、生きづらさなどの問題を抱える障がい者を受け入れてこられたのです」